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【4】千住真理子ヴァイオリン・リサイタル(2015年5月13日)

千住真理子ヴァイオリン・リサイタル

に行ってきた。バイオリンの演奏はCDや放送で聞く事はめったにない。あのギーギーという音がちょっとでも混じるといやな気持になる。ただ、音楽の生演奏は聞く機会がとても少ないので、せっかく近場で演奏会が開かれるのだからということで出かけることにしたのである。

構成は第1部、休憩、第2部というものだった。どちらも無伴奏の曲で始まり、そのあとピアノ伴奏つきとなり、演奏曲数は第1部は7曲、第2部は8曲だった。エンディングは(多分)お決まりのツィゴルネンワイゼンである。

そこで感想だが、とても"不思議"だった。

第1部と第2部とで音が全く違うのである。

第1部では、音をむりやり引きずり出しているようで、だから音も擦り傷だらけで出てくる、というな印象だった。それが第2部では最初の曲から音が艶々と輝いていて、はじけるように笑顔で飛び出してくる、といった様子なのである。

第1部では音が出るのを嫌がっているのを、蹴飛ばすか腕づくで引っ張るとかでようやく出させる、というのに対し、第2部では弓が絃に触れるや否や音が喜びの表情で次から次へと勝手にはじけ出る、という感じである。

第1部だけを聞いたのなら、"随分無駄な時間を費やした"、と思うだろう。第2部まで聞けば、"来てよかった"、と安堵することになる。

どうして

どうしてこういうことになったのだろうか。

最初はバイオリンがこの地の空気になじめず不機嫌だったが、次第に慣れてきて、本来の力を出したのだろうか。楽器ではなく演奏者がそうだったのか。

あるいは途中でバイオリンを変えたのだろうか。

第1部を聞いているときには、第2部で音ががらっと変わるということを考えていなかったため、バイオリンがどのようなものかよく見ていなかった。それで第2部を聞いていて、「あれっ、大分音が違うぞ」、と気づいたときには、バイオリンが変わったのかどうか確認することはできなかった。

千住真理子さんはストラディヴァリウスの「デュランティ」という名器を演奏会で使うといわれている。実際、演奏に先立つ主催者あいさつの中でも、「デュランティが使われる」という内容が語られた。もしかして、その名器を酷使するのを避けるために、後半だけ使う、ということにしているのだろうか。

第1部は最後の曲まで音が悪く、第2部の最初の曲から突然よくなったという印象なので、徐々になじんできた、というのは考えにくい。

ただし、休憩時間は15分というアナウンスだったが、実際には20分くらいあった。この間に演奏者の精神状態が急激に改善されたのだろうか。第1部にも第2部にも演奏者が語りかけるところが何度かあった。その語りの様子は、第1部と第2部とで特別な違いは感じられなかった。もっとも、音楽家の深い心情はおもてにあらわれる物ではないのかもしれない。

熱演のツィゴルネンワイゼンの後にはアンコールでアメイジング・グレイスがあった。会場はまだまだ拍手が続いていたが、連れが体調が悪い、と言うのでそこで会場を出てしまったので、アンコールがさらに続いたのかどうかは分らない。

・・・・

うーん、やっぱり謎だ。


備考

私の書き方では"ヴ"の表記は使わないことにしているが、当日のパンフレットでは"ヴァイオリン"と書かれているので、本文では基本的に"バイオリン"として、主催者の意向に従うときには"ヴァイオリン"と表記することにした。"ヴァイオリン"で表記を統一するのはちょっと受け入れられないが、そうかといって、タイトルが"ヴァイオリン"なので、タイトルの表記を念頭に置いた時には"バイオリン"と勝手に変えてしまうのは失礼なように感じた。その結果、この記事では、"ヴァイオリン"と"バイオリン"の二つの表記が混在してしまった。このことは通常は避けるべきなのだが、上記の様な経緯によって表記を統一することはやめにした。

このような表記の問題はいろいろある。(A)現地での発音に近いことを優先させるか、(B)日本語としてスムーズな発音という観点を重視するかと言えよう。"ヴァイオリン"と"バイオリン"、"ツィゴルネンワイゼン"と"チゴルネンワイゼン"、"アメイジング・グレイス"と"アメージング・グレース"、(A)、(B)の順に書くとこうなる。世の中全体では現実はどうなのか。Yahoo!検索でヒットした数でみると、"ヴァイオリン"と"バイオリン"は約4:5で(B)の方が多いが、残りの二つは、3:1、9:1で(A)の方が多い。この三つの中ではバイオリンがもっとも日本語になじんでいるからだろう。



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