与謝蕪村の句 トップ 10
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前回、タバハラスの演奏のトップ10を選んで、とても楽しい思いをしました。
今回は俳句です。与謝蕪村のトップ10です。
迷った末にトップ10から外した句も、バッサリと切り捨てるのも心残りなので書いておきます。
出典は以下ですが、表記は現代かなづかい・現行書体にしました。出典では旧仮名遣いですが、現在では読みにくいと感じる人も多いでしょうし、振り仮名をつけてもわずらわしい感じがします。そうしても与謝蕪村当時の表記とは異なるので、読みやすさを優先させた結果です。たとえば"終日"と書いて"ひねもす"と読むとか、"○○かな"と"○○哉"を使い分けたりとか、抵抗があるのです。
高橋治 蕪村春秋 朝日文庫 朝日出版社 2001年6月
あまりにも有名なこの2句。中学校の教科書に出てきたような気がします。
菜の花や月は東に日は西に
菜の花が一面に咲いているのでしょう。東の方を眺めると、月が昇ってきた。菜の花が見えているのだからまだ暗くはなっていない、日の入りの前。西を見ると太陽が低い位置に(おそらく)ぼんやりとかすんでいます。
写真として面白い構図ですが、撮影は現実には無理です。東西の地平線付近を一度に写さなければなりません。いわゆる魚眼レンズなら一枚のカットに納められますが、その場合、南北の風景も入ってきてしまいます。足もとの菜の花、東の月、西の太陽の3点セットを切り出した構図にはならないのです。三つのカットが一つの句にまとめて読みこまれています。写真だけでなく、より自由度の高い絵画としても無理でしょうね。絶対的に叙景の句なのにグラフィックとしては表現できない。どうしても、というなら、東の方向に1ショット、西の方向に1ショットとし、どちらにも手前に菜の花を入れる、というところでしょうか。でもこうすると、2枚の写真の同時性が表せないのです。
春の海ひねもすのたりのたりかな
写真の話をしたのでこれについても。これは実はいろいろに表現できそうです。「春の海」ということをきちんと表現するのは細工がいりますが、いわゆる「水ぬるむ頃」などという感じは表現できます。「のたりのたり」という感じが出せれば、それはゆったりとしたものですから、"ひねもす"つまり"一日中"、とまではいきませんが、"長い時間"という感じは出せます。
そうはいうものの、「のたりのたり」などという擬態語を使って低俗にならない、というところはほんとによくできた句です。
最初の二つ(1~2)は多分中学校の教科書にあったような気がしますが、残りはずっと後になって、中年の域に達して、蕪村に興味を持って調べたときに見つけたものです。
この2句は、スケールの大きさであまりにも有名です。鳥瞰の構図になっています。いや、「稲妻や」の句は鳥瞰では日本列島としては見えませんね。ジェット機でも"秋津島"としてみるのは難しい。宇宙船から見た風景でしょうか。ところが"浪もてゆえる"(*1)ではもっと近づいてみています。宇宙船からは"浪"は見えないでしょうから。"浪もてゆえる"ように見えるのは、これは鳥瞰ですね。
"稲妻や浪もてゆえる"までは鳥瞰、"秋津島"では宇宙船と、想像力を駆使します。(*2)
"ほととぎす"の句では、視点はどこかと言うと、"ほととぎす"と"平安城"を両方眺めるにはホトトギスの少し上から、ということになるでしょう。いうならば、鳥瞰するホトトギスの上から鳥瞰している、ということになりましょうか。そういう視点では平安京の碁盤の目といわれる構造もよく見えるでしょう。
この2句では、視点の自由な画像を楽しむことができます。
これは高校の時の古文で習った記憶があります。なぜ"二軒"なのか。1軒では頼りなさすぎ、3軒では安定しすぎて面白みがない。2軒が寄り添うように建っていて、かろうじて大河に対抗している、というような解説を古文の授業で習ったように思います。それにしても、二軒、五六騎、四五人などと、具体的な数を読みこんでイメージを確実なものにする、という点で蕪村は本当にうまいなあ、と思います。
これも評価の高い句です。どうしてこんなにリアルにイメージがわくのか不思議です。"鳥羽殿"と具体的な地名を出した点で何か故実を考えるべきでしょうか。後白河法皇と平清盛の確執から清盛がクーデターを起こして後白河を鳥羽離宮(鳥羽殿)に幽閉する、という政変が思い起こされます。
また、江戸末期では、鳥羽伏見の戦いがあります。薩摩兵を中心とする新政府軍が徳川幕府打倒を掲げて起したクーデター。鳥羽というところはクーデターに縁がありますね。しかも、どちらのクーデターも成功しています。もっとも、蕪村は鳥羽伏見の戦いは全く知らないことですが。
"野分"はこの場面ではどのようなものか、というと、私は断然"向かい風"をイメージします。向かい風に逆らって鳥羽殿へと馬を繰る。"五六騎"ですから、一家の主とその兄弟・子というところでしょうか。急を聞いて一家をあげて駆けつけるのでしょう。渦を巻く風、とか追い風を利用してますます速度をあげて、とかいうより、向かい風もなんのその、というイメージが一番ぴったりくるような気がします。
石工、鑿、清水の3点セット。鑿を清水で冷やす、ということですから、暑い季節でしょう。石工の仕事場のすぐ近くに清水が流れているわけです。視点のあるこちらからは、石工が作業している背中がみえ、その手前に清水が流れているようです。清水は常に流れているのでしょうが、流れがあるところでは水中のものは見えませんから、鑿を突っ込んだ所はその流れとは別のところの流れがないところで、水の中の鑿の刃先が光って見える。刃先の鋭い反射光が涼しさを一層引き立てます。涼しい清水と石工の暑い作業場。そして音としてはさらさらという清水の音と石工のカツカツという石を穿つ音。対比の片方が"石工"と軽く触れられただけでも、その存在が強く意識されます。
このトップ10の最初の2句は中学の頃の教科書に出ていた記憶があると書きましたが、その後(ずっとあとで)蕪村に興味を持って調べたときに、一番印象的だったのがこの句です。
蕪村の句で特に高く評価されている訳ではないようで、前記の高橋治著「蕪村春秋」でも、110項目に分類した中の一つの「踊り」の項に4句とられた内の最後の句で、2行だけの簡単なコメントが付けられています。
私は、月または日が西の空に低く傾く、という風情に共感しやすいようです。「菜の花や月は東に日は西に」もそうですし、万葉集で一番気に入っている歌の一つには「ひむがしの野にかぎろいの立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ」もあります。
この句では夜通し踊っていて、夕方東の空を上がってきた月が西に傾くころですから、明け方近く、でもおそらく明るくはなっていない。長い間休みなく働いてきて、無事刈り入れとなり、今日は夜通し踊りほうけていい、という日でしょう。もうお囃子も帰ってしまっているころ、酒を飲んで足もとが危うい、という状況で、それでもいつまでも踊っている、という様子が浮かびます。踊りとはいっても、半分は酔って足もとがふらついている、というところでしょう。現代だって、飲み会が二次会、三次会、四次会と続いて朝まで飲み歩いた、という場合があります。長い間の労働からやっと解放された、つかの間の自由な時間。周りからも、今晩はいつまで遊んでいてもいいんだよ、なんて言われたりしたのでしょうね。
古今集の204番歌「ひぐらしの鳴きつるなへに日は暮れぬと思ふは山の陰にぞありける」を連想しました。いつの間にか暗くなった、という時間経過を歌っています。日が暮れて暗くなると、色彩がなくなり、明暗だけの視界になる、というのは、目のなかの色を感じる受光素子の感度が低く、暗いところでは働きが弱くなるのに比して、明るさを感じる受光素子の感度は高く、暗くても働く、という人間の生理的特性に合った事です。
もっとも、204番歌では日が暮れたので暗くなった、と思ったら、実は山の陰に入ったのであった、というのに対し、蕪村の句では本当に日が暮れています。でもいずれも時間の経過が表現されています。
木を割ったときに立ちあがる香り。冬枯れと思っていたのに思いがけない生気。
このサイトの写真のページの一コマに、尾瀬の山小屋の軒下に積まれた燃料用の薪を撮った写真(別ウィンドウで拡大)があります。
コメントには
長蔵小屋の軒下に、燃料用のものでしょうか、薪(まき)が乱雑に積みあがっていました。近づくと薪の濃厚なにおいに包まれます
と書いています。
幹の内部から立ち上がる香りは意外に強いものです。ただしその写真を撮影したのは夏、この薪をいつ用意したものかよくわかりませんが、丸太を割ってからある程度時間がたっていたでしょう。この句のように「斧を入れた瞬間」ではありません。ですから、木の香がそれほど強かったとは思えません。でも、木の香が特にも印象付けられたのは、木が割れた表面の様子から実際以上に強く感じたのでしょう。
"おもて見"には冬枯れでも、内部では滔々と生命力を維持して春を待っている、そのような生命力を感じます。
どうやって生活しているのか、とふと思う。こんなところでは生活が成り立たないのでは、と思ってしまう様な所に家が5軒。トップ10の5番目に挙げた「さみだれや大河を前に家二軒」では2軒だった。それでも大河に対峙している事を最初に思う、という事は、ある程度の生活ぶりは想像できたのでしょう。たとえば近くに平地があり、田はないにしても畑がありそうで、大河を前にしているので水の心配もない。
ここでは、すぐ裏まで山が迫っていて、平らな土地がない。他の人家はこの5軒から遠く離れていて、孤立している。"家二軒"から"家五軒"に増えても、生活の安定さは逆に減っている。山道を下ってきて思いがけず出くわした寂しい集落。
私は、「こがらしや」は他に置き換えがいろいろできると思います。「菜の花や」とすると、道端にかろうじて菜の花が咲いているが、そのほかには生活を支える物がまるでない。「菜の花」という春の温かさとは正反対の生活の厳しさがかえって印象づけられる、というように。
これは解説を読んで内容に納得がいきました。
本来ならお手打ちになる男女がなんとかそれを許されて、所払いにでもなったのでしょうか、離れたところで夫婦として生活を始めることができ、衣替えの季節を無事に迎えることができた。
"お手打ち"というのですから不義密通の様なことでしょうか。いや、"お手打ち"を免れたのですから、人をあやめた、とか、大金を盗んだ、とかの具体的な大罪ではなく、誰かがとても悲しむようなひどいことをした、でもその被害者が恨みはない、と二人をかばって、それで極刑は免れた、というところでしょうか。
衣替えまでなんとか生きながらえたのだから、これからは、問題を起こさずに生きていけば人生を全うできる、という見通しがついた、という安ど感でしょう。
今回のトップ10の3番目に挙げた「稲妻や浪もてゆえる秋津島」とともに稲妻を読んだ句です。「秋津島」と日本列島を持ちこんでのスケールの大きさに圧倒されてあちらをとりましたが、「二折三折剣沢」というこちらもなかなかのもの。イメージが実にリアルです。
「二折三折」、これは稲妻を描くときにはよく出てきます。昔、若いころに南アルプスの北岳に友人と登ったときに、頂上付近でものすごい夕立に遭い、雷に怯えながら山小屋を目指して歩いたのですが、稲光が続くと岩かげに隠れ、それが止むとおそるおそる歩き出す、という経験をしました。友人が「少し離れて歩こう。近くにいて二人同時に雷にやられてはまずい」と言いだし、「確かにそうだ。登山では常識だ」などと思った事を何度か思い出しました。よほど怖い体験だったと見えて、ずっと後になって、山の頂上で雷に打たれる夢を見ました。「ああ、ついにやられた。でもまだ意識はあるな」、と思いながらシャツのボタンをはずすと、心臓のあたりにあの稲妻のギサギサの印が。雷に打たれるとやはりこう言う形で跡が残るんだ、絵などに書いてあったのと同じだ、などと思った夢でした。
「二折三折」とは、注連飾りにぶら下げる紙垂(しで)、これは紙を細長く切り込みを入れて折り曲げてギサギサを作るようですが、この様なイメージが浮かびます。浮世絵で稲妻が表現された有名なものとして葛飾北斎の「冨嶽三十六景 山下白雨」があります。大きく富士山を描き、その右下に稲妻が暗い背景に鋭く描かれます。こちらの形は紙垂の様な々の形ではなく、枝分かれするような形です。実際の稲妻は最近天気予報の番組などで写真が紹介されますが、北斎の方に近く、紙垂の様なギサギサなものではないようです。「二折三折」とはどちらにも取れますね。
「剣沢」というところも気になります。山が好きな人なら先ず北アルプスの剣岳の東側を這う剣沢を思い出すでしょう。蕪村の時代に剣岳や剣沢が知られていたとは思えません。"剣"という言葉で鋭い稲妻が強調されます。よって、これは現実の地名ではなく、イメージからくる仮想の地名であると想像しています。もしかして、蕪村が暮らした、あるいは通りかかったというのでもいいですが、そのような地に剣沢という地名が実際にあったのでしょうか。
追記 [2017/8/26]
(*1) 「浪もてゆえる」という表現がどこかにあったはず、と思って探していましたが見つからなかったところ、偶然に古今集を調べていて遭遇しました。なんとなく万葉集だと思っていたのですが、記憶違いでした。
911 わたつ海のかざしにさせる白妙の波もてゆへる淡路島山
こちらは"秋津島"ではなく"淡路島"ですから、視界はちょっと狭いです。
追記2 [2019/4/12]
(*2) 「鳥瞰」という言葉が出てきます。深田久弥の「日本百名山」の最初に「利尻岳」の文章があります。利尻岳に登ったときのことについて、「森林帯を出ると、見晴らしがよくなる。眼の下の海岸に打ち寄せる白波がレースで縁取ったようにはっきり見え」と書いてあるところがありました。「鳥瞰」というと鳥の視線であって"人間には見ることができない"、というニュアンスがありますが、山に登ると鳥と同じような見え方をするのですね。「鳥」にこだわるべきではないことを知らされました。
深田久弥 日本百名山 昭和47年10月 16刷 新潮社