交響曲トップ 10


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● 交響曲

交響曲トップ10を選ぶ

3つ目のトップ10です。

タバハラスのトップ10を選んだあと、すぐにこちらを考え出したのですが、まとまりませんでした。9番目までは簡単に決まったのですが、10番目が決まりません。

この先も決まりそうもありません。つまり、とても好きな交響曲が9つあり、次に好きなのはドングリの背比べ的にいくつかある、というのが"現実"なわけです。そこで、エイヤと、思い切って、割り切って、10番目を決めました。

私のトップ10

  1. ベートーヴェン 第3番
  2. チャイコフスキー 第6番
  3. ブルックナー 第9番
  4. ブラームス 第4番
  5. マーラー 第9番
  6. モーツァルト 第40番
  7. シューベルト 未完成
  8. ベートーヴェン 第9番
  9. ブルックナー 第7番
  10. ドボルザーク 第8番

すでに書いたように、9番目と10番目には大きな隔たりがあります。

こうしてみると、あまりにも初心者向きですが、私自身が初心者ですから仕方ないですね。

トップ10の各曲

  1. ベートーヴェン 第3番

今までにおそらく一番数多く聞いたたでしょうね。実は、第一、第二楽章が好みで、第三、第四楽章に関する気持ちは大分薄れます。

一番の思い出は、LPレコードのこの曲を聞きながらさめざめと泣いた、という経験です。一度だけです。ベーム指揮ウィーンフィルのレコードでした。炬燵に足を入れて横になって、ヘッドホンで聞いていたのです。第二楽章ですね。そんな経験はないのに、とても大事な人が死んだ。という思いです。

家族などのとても身近な人、というよりは、大恩人とでも言うべき人の死。たとえていうなら、子供時分に大病を患ったときに助けてくれた命の恩人で、仕事の上で親身に指導してくれ、事業に失敗して首をくくるしかないと思ったときに資金を融通してくれ、無実の罪で起訴されたときに優秀な弁護士を見つけてきてくれ、自ら無実を証明する証拠を見つけてくれ、マンション購入時には自分の側に保証人になってもらえる人がいないときに保証人になってくれた、など、数えきれないくらいに恩義がある人が死んだ、と電話で知らされた、という感じです。半分は夢の中、というようなもので、一時的になにかに心が取りつかれていたのではないか、と思えます。我に返って涙があふれていることに気付き、あ、泣いている、と思い、急いでLPレコードのジャケットを顔にかぶせました。

第二楽章は葬送行進曲、ということを改めて教えられたのは、ミュンヘンオリンピックで、パレスチナの武装グループがイスラエル選手団を襲撃し、死亡者が出たときの追悼式で、この葬送行進曲が流されました。文字通り、死者を見送る式で流されたのでした。

もう一つは、私の学生時代ですから、50年近くたちますが、学生運動がピークだった時、入学して間もなく、学生会館封鎖という事態になり、一般学生たちが講堂に集まってきたときに、この第二楽章がくりかえし放送されたのでした。誰が放送を流したのか分かりませんが、確かに、気分的にはぴったりくるものでした。そのあと、いろいろいな演奏を聞きましたが、あの時かかっていたのは、ワルター指揮コロンビア交響楽団に違いないと、わけもなく確信していました。演奏がオーソドックスで、トスカニーニやフルトヴェングラーほど録音が古くなく、などと考えていくとそのような気がしてくるのです。1960年半ばまでの録音のはずです。他にはどのような可能性があるでしょうか。

  1. チャイコフスキー 第6番

何と言っても最終楽章です。

スヴェトラーノフ指揮ソビエト国立交響楽団。テレビ放送で見たんですね。この指揮者と楽団の来日演奏の詳細はエフゲニー・スヴェトラーノフのページに驚異的な緻密さで記録されています。その情報によれば、1978年10月21日にNHKホールで、ショスタコーヴィチの「森の歌」との2曲のプログラムというときのものと思われますが、確証はというととても少ないです。そのサイトでは「NHK-FMによって放送&記録されている。いずれも超絶名演」と紹介されています。

なにに感動したかと言うと、終わり方なんです。最後の音が消えてから、"ブラボー"までの間。このことについては上記のサイトの掲示板に書き込みをしたのですが、いつごろのことか記憶があいまいで、その内容が確認できません。思い出して再現すると、こうです。

最後の音が少しずつ小さくなり、消える。指揮者は両手を胸の前に置きうつむいたまま動かない。静寂。1秒、2秒、3秒、会場内は緊張感が高まり、遂にこらえなくなり、"ブラボー"の声、そして拍手がぱらぱらと。それでも指揮者は動かず。オーケストラのメンバーも動く事が出来ない。指揮者が固まったまま、出かかった拍手がだんだんまばらになり、ふたたび静寂に。やがてゆっくりと指揮者は両手を解き上体をあげる。"ブラボー"の声と湧き上がる拍手

言葉で表現するのは馬鹿げていますが、そういう感じだったのです。

私のサイトの別なところで、「●感動したテレビ番組」として二つをあげていますが、その一つです。

最終楽章の次は第一楽章です。が、これは、言葉で表現するのはとてもできそうにないのでやめておきます。

一つ思い出したのですが、晩年のバーンスタインがこの曲をCDに出したとき、日本の評論家の多くが"べたほめ"だったのに対し、欧米の評論家には"受けが悪かった"ということがありました。テンポが極端に遅くて、これが問題になったものです。私もこのCDは買いました。個人的な感想を言うと、"これを実演で聞いたら大変感動的だったろうな"というのが実感で、6:4 くらいの気持ちで欧米の評論家のかたを持ちます。実演を聞くのと自宅でCDを聞くのとでは、集中力がまるで違います。あくまでも"私の場合は"ということですが。実演ならこの遅いテンポでも集中力を切らさずに聞けたと思いますが、CDを自宅で聞く場合では長時間集中力を切らさずに聞き続けることは難しく、テンポが遅い分、気が散りやすいです。

  1. ブルックナー 第9番

最近、音楽を聞く事は随分少なくなってきたのですが、その中で、ブルックナーは聞きます。トップ10には9番と7番を入れていますが、9番を一番よく聞くのでこちらを上位にしました。

3楽章しかなくて、作曲家は「テ・デウム」を第四楽章の代わりに演奏するように、と言い残した、というエピソードを聞いたことがありますが、よく言われるように、3楽章だけで十分と思います。かえって、無駄をそぎ落とした、という感があって、これでいいのではないでしょうか。

ジュリーニがウィーン・フィルを指揮した動画がYoutubeがアップされていて、これがいい。晩年のジュリーニはいいですね。

  1. ブラームス 第4番

このレコードは、クラシック音楽を聞き始めたころ、間違って買った、という、いうなれば"けがの功名"的なものでした。当時、ベートーベンをよく聞いていて、3,5,6,7,9というメジャーな曲のレコードを買った後、次は4番にしようかとレコード店でいろいろ見ていて、フルトヴェングラー指揮のものと、もう少し録音の新しいものとの間で迷って、やはりフルトヴェングラー指揮のものにしようと1枚を手にとってレジに行き、自宅に帰って聞き出したところ、なんか変だ、と感じて、ジャケットをよく見たら、ブラームスの4番だった、という事が分かったのです。

後でいろいろ調べてみると、超絶名演とされるものだったようです。録音は古いですが。たとえば吉田秀和氏がほめちぎっています。

何かいいかというと、"出だし"が素晴らしくて、息をのむ、という表現がぴったりです。他の、ずっと録音状態がよい演奏を聞いても、今一つ物足りない。ブラームスの4番をトップ10に入れたのは、ひとえに、このフルトヴェングラー指揮の演奏があるからです。

  1. マーラー 第9番

これもたった一つのレコーディングが元になっています。バルビローリ/ベルリンフィル。とても有名ですね。LPの時に買い、CDになって買いなおしました。LPの後にCDを買いなおしたという記憶があるのは、他には、リヒテルの平均律(第一、二巻)と、マタチッチのブルックナーだけです。このような長い曲はなかなか落ち着いて全曲を聞く事ができないのですが、この演奏はなぜか引き込まれます。私はどちらかというとブルックナー派ですが、マーラーを聞き込んでいくとはまりそうだ、という予感はあります。番号のついていない「大地の歌」とどちらにするか迷ったのですが、オーケストラだけのこちらの方が聞くのに抵抗が少ない、という点から選びました。

  1. モーツァルト 第40番

最初に聞いたのは、NHKのFM放送をトランジスタラジオで、モノラルです。12cmスピーカー1個を自作の箱に入れた、手作りのスピーカーで最初に聞いたのがこの曲でした。この曲がモーツァルトの代表的な交響曲であることはその時には知っていたのでしょう。例の魅力的な主題が心に焼きつき、頭の中でそのテーマを繰り返していたようです。楽章が終わって、次の楽章が始まり、さあ第三楽章だ、と聞いていると、そこで曲が終わっていました。調べると4楽章の構成で、楽章の切れ目は3つともにあるようです。振り返ってみると、第一楽章の主題を頭の中で繰り返しているうちに第二楽章に入っていた、という事以外には考えられません。そのような事があるのだろうか、と不思議でしたが、ある音楽評論家が、自分は第一楽章の主題を頭の中で繰り返しているうちに第三楽章に入っていて、次の楽章で終わってしまい、2楽章の曲として聞いていた、と何かに書いていたのを読んで、「そういうことがやはりあるんだ、それにしても、上には上があるんだ」、と思ったものでした。

もう一つの思い出は、この曲をMIDIで再現しようと、MIDI音源とMIDIキーボードを買ってきて、打ち込みをやったことです。やってみると、まあとても大変なことが分かりました。音源の問題としては、とにかくバイオリン、ビオラ、コントラバスの弦楽の部分が思うようにならず、木管や金管の、特に独奏部分では比較的満足できたことです。それであるとき、秋葉原のそういう店で相談にいき、特にバイオリンの音で困っている、というと、ソロですか、アンサンブルですか、と聞かれたので、アンサンブルです、というと、それはとても難しいですね、と言われてしまいました。あとで分かった事ですが、本当にリアルな音を出すには、音源が楽器の数だけ必要だ、ということで、TVで見たのは、音源を100台位一同にならべて一斉に音を出させる、というものでした。ひとりひとりが出す音を一台の音源で出すわけで、当然ながら同じ音を出したのでは意味がありませんから、一台一台の音色を微妙にずらし、さらに音を出すタイミングも微妙にずらすのでしょう。私の手に負える物ではありません。最初の100小節までやって、区切りがいいのでそこで終わりにしてアップしたのでした。

  1. シューベルト 未完成

この曲は大体どの演奏でも満足できます。トップ10に入れたのは、ときに鼻歌で交響曲のフレーズを歌っていることがあるのですが、この曲のことが一番多いのです。2楽章で終わってしまった曲なので、聞いていても中途半端かというと、さほどでもなく聞いてしまいます。もっともベートーベンの第3番でも最初の2楽章で終わりにしてしまうことも少なくないので、おかしいとも言えません。2楽章で終わってしまった理由についてはいろいろな説があるようですが、なにかで読んだ記事に、「さすがのシューベルトも、この続きを書く事が出来なかった」という説が一番しっくりきます。最初の二つの楽章の"でき"がよすぎた、ということです。それほどこの二つの楽章は魅力的です。

  1. ベートーヴェン 第9番

ベートーベンは3番をトップ10の最初に入れていますが、9番だけは入れずにはおけません。あまりにも単純な楽章の構成。長大さから、それほど聞くわけでもありません。又、年末のニュースでからなず取り上げられるように、あまりにも頻繁に耳にしているので、「ああ、あれね」と軽く流してしまいそうになります。真剣に耳を傾ける、ということがしにくい、という感があります。

この曲については、フィナーレについて一言。フィナーレはソロ4人を含む合唱とオーケストラで最高に盛り上がった後、オーケストラだけで終わります。つまり音量としては、ボーカルを含めた最大に達した後、オーケストラだけの、少し"内輪"の音量で終わることになります。これが難しく、多くの演奏で、何と言うのでしょうか、肩すかしを食った様な感じで終わってしまいます。曲がそうなのだから仕方がないのかもしれませんが、どうにもフラストレーションがたまります。そうかといって、オーケストラが余力を残して、合唱が終わった後で一段と盛大に音を出すと、「何だ、今までは出し惜しみしてたのか」と思ってしまいます。このところで、ただ一人成功しているのがフルトヴェングラーで、彼は最後の最後でアッチェランドをかけます。狂ったようにテンポを上げる。オーケストラが追いつけないことは明らかなのに、それにお構いなく加速する。多分、音は聞いていないんでしょうね。そして、その異常さがこの曲の異常なまでに大きなスケールを表現できているような気がします。これは私が聞いた全ての録音がそうでした。

このことを考えると、他の指揮者がこのフィナーレの演奏に疑問、あるいは問題意識を持っていないように思え、不思議でなりません。

  1. ブルックナー 第7番

この曲を最初に聞いたのは、ロブロ・フォン・マタチッチ指揮チェコフィルのLPです。ブルックナーを聞こうかな、と思っていたときにレコード店でこのLPを見つけました。買った理由はそれが1枚に収まっていたからです。当時、ブルックナーは2枚組が普通でして、学生の身分ではちょっと高くて手が出にくい。1枚物なら、という、いささか不純な動機でした。評価の高い録音で、本当にこのLPはよく聞きました。LPレコードで一番繰り返して聞いたのは、このLPと、フルトヴェングラー指揮のベートーベンの3番です。

  1. ドボルザーク 第8番

これが、10番目として迷った末に選んだ曲です。他に候補としては、ベートーベンなら、5、6、7番。シューベルトの"ザ・グレート"、ブルックナーの5番(8番は好みでない)、マーラーの"大地の歌"、チャイコフスキーの5番。ドボルザークでは他に9番。ショスタコピッチの14番。

モーツァルトは40番以外は群を抜いている、という印象がなくてとる気になりません。ハイドンもそう(ほとんど聞いていませんが)。ベートーベンは2曲あげたのでもういいか、として外す理由がでてきます。同様に、シューベルト、チャイコフスキーも1曲でいいかな、ということにします。これは、シューベルトなら"歌曲集 冬の旅"、チャイコフスキーなら"白鳥の湖"という天下無敵な曲があるから、という意識が影響しています。ということで、マーラーの"大地の歌"、ショスタコピッチの14番とドボルザークの2曲が残りました。まず、ドボルザークだったら8番の方がいいかな。スラブの田舎の感じが、アメリカから故郷をしのぶという9番よりは好きで、特に第二楽章がいい。9番の第二楽章も有名ですが、8番の方が、個人的に好きなスラブ舞曲第10番に通じる、"田舎の上品さ"が感じられていいのです。"大地の歌"はこれは入れるのも外すのも難しく、悩ましい限りです。ショスタコピッチはこの1曲しか聞いていないのですが、とても印象的なところがある。たとえば"3本のユリ"、という曲はとても心ひかれます。ですが、あまりにも聞いた回数が少ないのでスキップしてもよさそう。ここまで来ると、ドボルザークの8番を入れるのが、一番抵抗が少ない。

まあ、こんなことを考えてトップ10を選んだ、といっても、何の意味もないのですけどね。


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