形而上学的なこと 【3】人間の系統図


[2023/9/25]

前に戻る    次に進む    "形而上学的なこと"のトップに戻る

人間の場合

前回の記事で、人間の親子関係について触れました。

その中で、次の様に書いています。

ほんのわずかの違いで、(中略)私は存在しないのです。ですから、この記事も出現しないのです。


このことは以前から気になっていたので、今回、ちょっと調べてみようと思いました。

次のような方法を、最初のトライアルとして考えてみました、

1. 系統図は、今回の場合、生まれた子の男女をどちらも書いています。注意しなければいけないのは、このようにすると、ある子は父の所と母の所の両方に出てくるので、子孫の数は二倍に表示されてしまいます。歴史的には、系統図の書き方は、生まれた子について男子と女子の両方を書くと、その子の子孫の表記が複雑になるため、男性の血統を中心に書かれます。今回は人数をかなり限定しているので、系統図中に配偶者は現われないものとしているので、このような重複は起こらない、と仮定しています。

2. 生まれる子どもの数は、最大でも4人としました。これをもっと多くしてもいいのですが、現代では5人以上の子が生まれるというのはまれであると言うことから、単純化しました。

3. 生まれる子どもの数は、乱数を使って確率的に決めます。子どもが幼いとき、あるいは子どものうちに死んで子を残さなかったときには、子の数は0です。たとえば子の数が、0, 1, 2, 3, 4になる確率を40%、25%、20%、10%、5%などとします。

4. 表計算ソフトのMicrosoft Excelのマクロでプログラムを書き、系統図がすぐに見えるように表現します。

なお、世代は15世代まで、生まれる子が多くなった場合、Excelにおける行数を400という制限を加えています。このような制限を加えないと、場合によってはいつまでもシミュレーションが続き、処理時間も非常に長くなる場合があるからです。

15世代というと、子ができるときの年を20才とすると300年ほどになり、おおよそ江戸時代くらいの期間になります。

また、始祖を10人としていますが、これはある地域のなかから10人を抽出して考える、ということです。

数千人、数万人の中から少数を選ぶなら、そこに現われる子の配偶者はこの系統図に含まれない確率が高くなり、子が重複してこの系統図に現われる可能性が低くなります。


以下、いくつか出力の例を示します。Excelマクロプログラムの組み方によって変化が出てしまいますが、今回はプログラムのコードは表示しません。

コードを表示しない理由は、私のプログラミングが"へたくそ"であることがばれてしまうことの他に、細部の改訂を常時行っていること、動作確認のためのコードやコメントがいろいろと残っていて、それらを整理整頓するのが大変なこと、などです。

シミュレーション結果の説明

まず最初に、Excelによるシミュレーション結果の表記内容について説明します。

シミュレーション結果の説明

図1 シミュレーション結果の見方

図に、A~Iまでの説明文について補足します。

A. 次のBで指定した子の数(0~4人)の割合を元に乱数で具体的な子の数を選択した結果、実際に何人の子が生まれたか、の総数を示します。

B. この数が0/1/2/3/4人の場合の発生確率をパーセント値で指定します。

C. Bで指定した子の数の割合が、シミュレーションした結果どうなったかを示します。子の数は乱数で指定するので、Bで指定した割合からある程度ずれます。Bで指定した数値が同じでも、シミュレーションのたびにCの数値は異なります。

D. 最初にに何人かの人間(始祖)を仮定し、その子がどのように発生するかをシミュレーションします。そのときの子が始祖から数えて何代目かを表します。

E. 始祖からの各世代の子の合計を示します。

F. Eの連続する3世代の子の合計を示します。人口はおおよそ3世代の人間で構成されるという考えを前提にしています。

G. 始祖を"person 1"、"person 2"、"person 3"のように表記します。その子の数を太線の枠で囲った四角の中に表示します。0人という場合は、その人が子をなさなかった(その人が男子であれ女子であれ)場合であり、幼くして死亡したとか、配偶者を得ることがなかったとか、たまたま子が生まれなかったなどの場合があるでしょう。

H. 始祖1の子は1人、さらにその子は子が2人できたということで、その次のカラムに0と1があります。この2人の子の1人目は子が0人、2人目の子は子が1人だったことを示してしています。

I.この人は子が4人でき、その4人の子は4本の矢印の先に表示されています。

シミュレーションを5回行った結果

子の数の割合を同じにしてシミュレーションを5回行った結果をまとめて次に示します。

シミュレーション5回の結果

図2 5回のシミュレーション結果

5回のシミュレーション結果を一つの図にまとめたため、かなり縮小しています。150%から200%くらいに拡大しないと、内容が分からないかもしれません。

一見して、シミュレーションごとに結果は大きく変る、ということが分かります。

もっとも、かなり大まかなシミュレーションであり、そのことは気をつけなければいけないでしょう。

ただし、結果がどうなるか、まるで分からないということは否定できないという印象を受けます。。

これはどういうことでしょうか。

たとえば、いわゆるお釈迦様、つまり釈迦牟尼あるいはゴータマ・シッダールタが現われて仏教を開いたとされます。

ゴータマ・シッダールタが出現しなかったら、この世界はかなり変ったものになっていたでしょう。

仏教はいくつかの国のあり方を規定しましたから、もし彼がいなかったら、その国はかなり変ったものになっていたでしょう。

日本だって、仏教が存在しなかったら、社会のあり様(よう)はかなり違ったものになっていたでしょう。

寺院というものがないわけで、葬儀のあり方、墓や先祖供養のやり方も現在とは違っていることでしょう。

ここでゴータマ・シッダールタを引き合いに出し、イエス・キリストではなかったのは、その出自がどのくらい明らかであるかの程度によります。

ゴータマ・シッダールタは何という国のどのような立場(国王の子、すなわち王子)に生まれたか、その国の周囲の状況はどうだったのか、などがある程度分かっています、

イエス・キリストではその実在性の観点で、いささか確証を欠いているように私は感じます。

では最初の宇宙飛行士であるガガーリンはどうでしょうか。

もしガガーリンという人物が現われていなかったら、別の宇宙飛行士が飛んでいたでしょう。

ですから、ガガーリンという人物がいなくてもあまり大きな変化は生じないと思われます。

詳細な比較する

もう少し詳細に見てみます。

次の表は、シミュレーションに現われた総人口と、3世代人口をまとめたものです。

シミュレーション名 sim 1 sim 2 sim 3 sim 4 sim 5
16世代の総数 354 166 492 151 173
3世代人口の最大数 94 41 140 39 65

3世代人口が最少で39人、最多で140人とかなりの違いがあります。

この始祖の10人全員がある一族に属するとすると、300年の間のある時期において、その一族が39人か140人かでは、田を耕す人であれば耕作可能な田の広さが相当違いますし、侍であれば、戦力という点でまるで違います。

一族が140人であれば、人手が少ない一族の田を手に入れる可能性が高く、ますます広い田を持って裕福になり、あるいは戦いに連勝してますます強力な軍勢を誇る一大勢力になったかもしれません。

39人になるか、140人になるか、どのような要因によるものか分かりません。

ランダム性に打ち勝つもの

人間の系統図がかなりランダムなものだとわかりましたが、そのようなランダムな面にもかかわらず、必然的に起こる出来事もあるように思えます。

たとえば、電気というものは自然現象として存在するものですから、いずれ、電気の性質を調べる人が出てくるでしょうし、さまざまな発明をしたエジソンがいなくても、いずれ誰かが白熱電球を発明したでしょう。

電話機、有線通信や無線通信、などいろいろなものも地球の歴史上発明した人がいなくても、いずれは別の人によって発明されるに違いありません。

ニュートンやアインシュタインがいなくても、誰かが同じように自然法則を発見したことでしょう。

自然の性質に関わることは、いずれ誰かが業績を上げることになると思われます。


分からないのは、人間の精神だけに依存する営みです。

宗教や政治思想については、個人の存在にかかっているでしょう。

ゴータマ・シッダールタがいなかったら、仏教のような考え方は生まれなかったでしょう。先立つヒンズー教を離れた教えですから。

イエス・キリストがいなかったら、と考えると、こちらはユダヤ教を引き継いだものですから、いずれ誰かが同じようなアイディアを打ち出すかもしれません。

チンギス・ハーンやヒトラーがいなかったら、人類の歴史はかなり変ったものになっていたでしょうか。

でも、チンギス・ハーンの存在は、現代においては特に残っているようには思えません。ヒトラーの存在は特にヨーロッパにはまだ影響が残っているように感じます。

マルクス、エンゲルスがいなかったら、共産主義思想は現われなかったでしょうか。こうなるとちょっと分かりません。自由主義経済が行き詰まることを考えて、それに対抗する何らかの思想が生まれたのかもしれません。

共産主義が現われないにしても、人類は何か違う考え方でまとまった二つか三つのグループができて対抗する、という構図にいずれなるのかもしれないという予感がします。


この宇宙は、どこでもわれわれが解明しつつある素粒子の組み合わせと同じものがあると考えていいのではないでしょうか。

そうすると、われわれの太陽と同じように自らエネルギーを生成する恒星があり、中には惑星を持つものもあるでしょう。

その中には、比熱の大きな水(H2O)があり、そのなかから、化学エネルギーという比較的穏やかで制御しやすいエネルギーを利用した生物が生まれるのではないか、という考え方は魅力があります。

その中から生まれる、地球の人間のような知的な生物はどうでしょうか。

その前に、地球ではいずれ人類は滅びて、次に地球の覇権を握るのは、ネズミであるとか、ゴキブリであるとか、あるいは植物であるとか言われることがあります。

そうなると、他の太陽系、あるいは別の銀河系での知的生物の有り様(よう)はかなり広い範囲の可能性がありそうで、われわれ地球上の人間とかけ離れた存在になっているかもしれません。

進化の過程

上記では人間の親から子に続く家系を考えましたが、そもそも進化の過程でも同様のことが起こるのではないでしょうか。

水中の単細胞生物から、次第に複雑な生命体になり、やがて水中から地上に移動し、さらにいろいろな生物に進化し、やがて人間が登場しました。

その中には、一時期隆盛を極めた後、絶滅した生命体もあることでしょう。恐竜はかって地球上で敵なしだったときがありましたが、気候変動か何かで絶滅しました。人間もそうなるかもしれません。

別の進化のパターンも可能性としては考えられます。

4本足と2本の手を持つ生物が現われたかもしれません。

音声という空気振動で個体間の交流をするのではなく、テレパシーのようなもので個体間の交流をする生物が地球上で覇権を握っていたのかもしれません。

地球を離れて考えると、酸素の量が地球とかなり違う場合、炭素が高温で酸化して熱と光が発生する"火"という現象を人間が利用するようになって勢力を強めたという地球に起こったようなことがなく、エネルギー源としては太陽光だけで、かえって太陽光のエネルギーを巧みに使う生物が発生しているかもしれません。

ある惑星では外部から多量の放射線が降り注ぐ環境下で、遺伝子に依存することなく、放射線による刺激で子孫が生まれ、しかも親の存在とは全く違った生物が発生する生態かもしれません。このような場合、系統図は意味がないでしょう。


そのように考えると、現在、われわれ一人一人が生きていることが実に貴重であるように思われる一方、宇宙全体から見るとまったくどうでもいい存在である、とも思えます。

われわれの歴史において、無数とも言えるただの庶民の存在が、今ではだれも口にせず、知識や記憶に全く存在しないように、地球上のわれわれ人類のことをまるで知らずに、無数の銀河系に存在するであろう無数の知的生命体が発生、繁栄し、やがて消えていくのでしょう。



[ページの先頭に戻る]参考文献について