My簡単レシピ 野菜スープ
野菜スープ
あり合わせの野菜を適当に細かく切り刻む (玉ねぎ、ニンジン、ジャガイモ、シメジ、キャベツ・・・・)
野菜以外に、肉、ハム、ソーセージ、ベーコンなど、好みに合わせて
コーンはもちろんgoodです。当然ながら切り刻む必要はなく、そのまま入れます。(冷凍のコーンでもそのまま入れればOK)
塩を加え、コンソメで煮込む
コンソメ・スープの素1個または1包で水300ccに対応、という場合、これに見合った量の野菜を入れる、というようにするのが簡単です。
待てる時間だけ煮込んで完成(最短で材料が柔らかくなる時間)
下の写真の左はある日の材料。ジャガイモ、シメジ、ニンジン、玉ねぎです。中央は別の日の煮込み中の様子。小松菜、豆腐を入れました。右は白菜を入れ、玉ねぎは大きめにカットしています。肉類はどれにもありません。
肉類を入れなければ、ベジタリアンの世界に近づきます。もっともコンソメにはいろいろ入っています。コンソメの代わりに岩塩を使う (*1)とベジタリアンの世界に到着でしょうか。やってみたのですが、あまりよくできません。クレージーソルトがいいのかも。
■ バリエーション
■ さらなるバリエーション
■連続技(大量に作って次々にバリエーションを楽しみます)
【補足】
以前から、鍋ものはなんでもうまくて失敗が少ないのはなぜだろうか、と疑問でした。要するに、肉と野菜を煮込むとうまくなるものだ、と気付き、さらに、野菜だけではどうだろうか、と考えてやってみると十分にうまいのです。
試しに、上記のように野菜を切り刻んで、電子レンジで2分くらい加熱してみてください。野菜から汁が出ます。これを飲んでみるととてもうまいです。肉汁という言い方はありますが、これはなんというのでしょうか。野菜汁というのは聞きませんね。
ヒンズーの経典の初歩的な(あるいは基本的な)経典として、BHAGAVAD-GITA(バガヴァッド・ギーター) (*2) があります。その 6章テキスト16に
「ヨーガ修行者は、食べるものが多すぎても少なすぎても、眠る時間が長すぎても短すぎてもいけない」
という趣旨の言葉があります。その解説書(BHAGAVAD-GITA AS IT IS) (*3) には、この部分について、下記の解説があります。
「人間は動物の肉を食べる必要はない、十分な量の穀物、野菜、果物、牛乳があるのだから。これらは"善の表れ"であり、動物の肉を食べることは"無知の表れ"である」
バガヴァッド・ギーターは心ひかれる数少ない書物です。是非読まれることをおすすめします。
野菜だけで十分おいしい、ということを、実感しています。
まあ、植物も生きているのであって、野菜を調理することは、野菜を殺害することだ、というフルータリアンの考え方もあるようですが......(*4)
【参考】
(*1) 岩塩の使用について
オリーブオイルのおいしい生活 ウンブリア田舎便り
朝田今日子 著 文春文庫PLUS
冬の章 本当においしいスープ
ミネストラ(野菜スープ)は残り物の野菜の切れ端で、その 時あるものを使って作る。私がこの時期よく作るのは、ジャガイモ 2 個、ニンジン 2本、セロリ 2本、夏の終わりに収穫した熟れていないトマトで、最近やっと日陰でオレンジ色に変わったもの、ピエータ(てん菜の葉)、リーキ(ネギでもよい)、キャベツ4分の1 などを、切らずにそのまま鍋に入れ、水から弱火で煮る、沸騰したら岩塩を一つまみ入れ、蓋をしたまま 2 時間コトコト煮る。豆は・・・・
私の場合は、煮る時間を短くするために細かに切り刻んでいますが、基本的には似ていると思います。
(*2) バガヴァッド・ギーター
鎧 淳 訳 講談社学術文庫
(*3) BHAGAVAD-GITA AS IT IS (Second Edition)
A. C. Bhaktivedanta Swami Prabhupada 著 THE BHAKTIVEDANTA BOOK TRUST 刊
(*4)フルータリアン (fruitarian)
フルータリアンについては、"NOTTING HILL"という映画の中に出て来たので知りました。「フルータリアンにとっては、野菜や果物には感情があり、調理することは残酷なことである。食べてよいのは地面に落ちたものだけ」というセリフがあります。また、調理されたニンジンを見て、フルータリアンの女性が「これは殺害されたものなの」とも言っています。「殺害された」は "murdered" という表現で、「動機があり意図的かつしばしば計画的であること,また犯罪的行為であることを含意(ランダムハウス英語辞典による)」の上で行った殺人と、わざと強調しています。