小品いろいろ


[2015/12/6]

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【9】交響曲第五番第一楽章第一主題の動機が交響曲第三番に

ベートーベンの交響曲第三番の第二楽章をYoutubeで聞いていたら

ベートーベンの交響曲第三番(以下、第三と略称する)の第二楽章をふと聞きたくなり、手っ取り早く、ということで、Youtubeにある、適当な一つを聞きだした。

Beethoven, Symphony 3 ("Eroica"), 2nd movement (funeral march)

"performed by the Bezdin Ensemble, with a graphical score"と説明がある。Bezdin Ensemble とは初耳。ネットで検索すると"Chamber orchestra, choir and vocalists "とある。室内楽団ということか。

"graphical score"とはこれまた初めて聞くが、Youtubeの画面に、楽譜に相当する、つまり楽器ごとの音の高さと長さが変にカラフルに表示される、それのようだ。

演奏自体は、テンポが非常に遅く、演奏時間は18分11秒と表示されている。私が知っているものでテンポが遅いのは、フルトヴェングラー指揮ウィーンフィルのいわゆる「ウラニア」盤で17分48秒。これより遅い。

フルトヴェングラー盤の様な音量のダイナミック性やテンポを大胆に変える、ということがなく、平板な印象を持つ。また、音が変に粘つく感じで、要するにあまり好きなタイプではない。

でも曲がいいから聞き進んでいくと、一つのことに気付いた。

"じゃじゃじゃじゃーん"が何度も現れる

交響曲第五番(以下、第五と略称する)第一楽章の第一主題の動機の"じゃじゃじゃじゃーん"あるいは"だだだだーん"が何度も現れる。

この動機は、冒頭部分では八分音符3個と二分音符からなる。正確にはその前に八分休符があり、このパターンが2回繰り返される。2回目の二分音符は二つがスラーで結ばれている。だから、2回目の"じゃーん"は1回目の"じゃーん"より長く演奏すべき、とか、フェルマータがあるのだから、要は適度な長さにすればいいんじゃないの、とか、いろいろな意見があるようだ。

そのあと何度も繰り返されるのだが、八分音符3個に続く長い音の長さは多くの場合、二分音符ほど長くはない。

それで、この動機だが、第三の第二楽章をYoutubeの画面(graphical score というらしい)で見ると、実に目立つのである。一目見て「あれっ」と思う。

先頭の八分休符はあるか

第五の"じゃじゃじゃじゃーん"にはその前に八分休符があるが、第三の第二楽章ではどうか。上記の"graphical score"では五線譜の縦線("じゅうせん"と読むらしい(*1))が表示されないので分からない。幸いにも、第三はスコア(*2)が手元にある。

第二楽章は65ページから始まるが、その第8小節に初めてコントラバスのパートに出現する。その小節は、四部音符に続いて付点八分休符、次に一六部音符の三連符(連符の横線が3本)と続き、次の小節の先頭にある八分音符へと続く。"続く"と書いたのは、三連音符と次の小節の八分音符がスラーで結ばれているからである。。この三連符は高さが違っている。三連符の高さが同じもの、つまり第五の"じゃじゃじゃじゃーん"に現れるようなものは次の小節に現れる。こちらには上記のようにスラーで結ばれているのではない。

このフレーズの現れ方

以下、このパターンが何度も繰り返されるが、ほとんどは高さの同じ三連符と、その三連符の長さと同じ長さの音の組合せである。低音部に出現することが多いが、バイオリンのパートにも出現する。管楽器のパートにはないようだ。

よく見るとオーボエのパートに1か所(第49~50小節)あった。またティンパニでは第199小節以降に12回繰り返し出てくる。休符のあとに三連音とそれより長い音がつづく、という点が共通している。(追記 2015/12/7)

スコアでこのパターンを数えてみると65小節目までに45回出てくる。そのあとの小節(第二楽章では第247小節が最後)には出てこない。つまり、始めの1/4の部分に出現している。数え間違いがあるかもしれないが、とにかく多い。

このフレーズが主旋律の下の低音部に多く現れるので、音を聞いた時には強く印象付けられるものですない。今回は、スコアのグラフィカルな表示を見たので強く印象付けられたのである。

第三から第五へ

第三で"じゃじゃじゃじゃん"というフレーズが、いわば伴奏のパート(この言い方はおかしいかもしれないが)に現れるのに対して、第五ではこれが前面に出てくる。第三で裏方だったフレーズが第五で主役に抜擢された、という感がある。

第三の第二楽章を今回改めて聞きなおすと、このフレーズが比較的低音部に現れるので、管楽器が高音域でメロディーを奏でて、あたかも飛び上がろうとするのを、引き止めてそれを妨げる。悲しみから逃れようと飛び上がるのを引き戻して抑えつけ、現実に引き戻す、という印象を持った。

終わりに

この様なことは音楽に詳しい人には周知なんだろうと思うが、私にとっては偶然に気付いたものなので書き残したものである。

参照した資料

(*1) 山縣茂太郎 新訂 音楽通論 音楽之友社 1991年2月

(*2) ベートーヴェン 第三交響曲 解説 野村光一 音楽之友社 昭和46年5月



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