【21】茨城県筑西市 内外大神宮(ないげだいじんぐう)


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内外大神宮

筑西市の内外大神宮を撮影しました。

県内の重要文化財指定建造物としては最も最近に指定されたものです(平成21年12月指定)。

場所はちょっと分かりにくく、10万分の一の道路地図では載っていないことが多いです。我が家のクルマのナビは3年前の地図データですが、これには登録されていて、ナビに従えば現地に到着できましたが、途中どこを走っているのか見当がつきませんでした。

神社入り口にはクルマをとめることができるスペースが数台分あります。

それでは中に入っていきます。

1.鳥居

ここから参道が続いています。

2.参道

木立に囲まれてうっすらと暗い、普通ですね。

3.参道の終わり

参道の終わりはロープが張られて、目の前に見える拝殿に進めません。「ススメバチ注意」と書かれています。これは困った。一人での撮影で襲われてはまずい。左手に回り込むと拝殿まで行けるように見えました。

4.拝殿

人影もなくひっそりとしています。右側に御遷殿の建物らしいものか見えます。

5.御遷殿の全景

御遷殿は屋根で覆われていました。かなり小ぶりなものです。建物に保護のための屋根が付いているものとしては、このほかに私が目にしたのは平泉の金色堂くらいです。

6.御遷殿前面

御遷殿そのものの屋根の頂部が傾いていて、年代の古さを感じさせます。

7.御遷殿前面アップ

こうしてみると、極めてシンプルな造りであることが分かります。伊勢神宮の内宮外宮はともにシンプルな構造を現在まで保っていますが、神社というものは昔はこのようなものだったのでしょうね。飾りたてる必要はないのですね。

8.遷殿の説明版

天正12年(1574年)の建立ですから、安土桃山時代ですね。戦国時代の混乱期です。そんな時期によく建てられた、と不思議なのですが、意外に安土桃山時代に建てられたものは多いです。織田信長の安土城の完成がその2年後ですから、時代はまだまだどうなるか分からない混迷の時代だと思うのですが。

9.内宮外宮の全景

階段を上がって、内宮外宮のあるところまで進みます。内宮外宮が直線状に配置され、その周囲を屋根の付いた塀が取り囲みます。透かし塀や格子塀の様な、透けて見える塀ではありません。ただし、塀の上部には格子状の開口部があります。

塀には二つの門があります。下から見ると、階段が二つあり、その先に二つの門があり、それぞれの奥に内宮外宮がある、という構造です。このように、内宮外宮が並び、その周囲を塀て囲む、という構造は他にあるのでしょうか。

10.内宮

正面右手が内宮と言われています。私にはどちらが内宮でどちらが外宮なのか区別できません。このように妻(つま)の部分を眺めると、簡素な形がさらに明らかになります。

棟木の両端が垂直の丸柱で支えられています。ここは建物の外部です(もっとも屋根の下ではあります)。棟持柱と言うようです。切り妻の建物では妻を外側に広く張り出して雨よけにする必要があり、大きな建物ほど張り出しが求められるので、棟持ち柱が求められるということは想像できます。

11.内宮裏手から外宮

垂木の間隔が狭い、繁垂木で、ここでも造りの簡素さが見て取れます。

12.内宮屋根

切り妻の様な単純な構成の作りでは、このように日が当たるところと陰になるところとの明暗の差が大きくなり、独特の画像が現れます。右端の暗がりは門(ここでは外宮の)の妻側にあたります。

13.かえり見

拝殿の前まで戻って本宮を振り返りました。ひっそりとしたたたずまいが時間を超越した感覚を感じさせます。

【感想】

私にとって、茨城県内の重要文化財指定建造物の写真としては、寺院シリーズを終え、神社シリーズの最初になります。神明造の内宮外宮は延宝7年(1679)作られたとされます。日本最古の神明造は仁科神明宮(1636年)とされます(*1)ので、日本最古に近い建造物のようです。

撮影自体は、ハチが時々飛んで来て、入口の"スズメバチ注意"の垂れ札を思い出して"こわごわ"という感じで、なかなか大変でした。拝殿の前だけならたいして気になるものではないのですが、本殿裏手の誰もいないところで大きめのハチが近づいてくると怖いものです。撮影中に、地元の方でしょう、二、三組、拝殿の前で手を合わせていらっしゃるのを目にしました。近くを通りかかったのでお参りする、といった様子で、地元の方には身近なところのようでした。

参照した資料

(*1) 人見春雄・野呂肖生・毛利和夫編 図解 文化財の見方―歴史散歩の手引き p.38 山川出版社 2007年7月



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