【9】茨城県笠間市 楞厳寺(りょうごんじ)山門
茨城県笠間市にある楞厳寺山門です。
国指定重要文化財にこの山門が指定されています。
このシリーズでは、タイトルは寺名とすることにしていますが、こちらの寺では、本堂がかなり離れた場所にあり、
山門からは本堂が見えず、山門が孤立しているように見えます。ということで「楞厳寺山門」というタイトルにしました。
この位置を説明するのはちょっと難しいです。
笠間市の北西に仏頂山という431mの山があり、その南東方向のふもとが片庭地区で、ここにあります。
この片庭地区一帯はヒメハルゼミの北限とされ、「片庭ヒメハルゼミ発生地」として国指定の天然記念物に指定されています。
車一台分の道幅の道路を大分進むと、何やら山門らしきものが見えてきます。
山門正面
門のすぐ裏手に車ニ台(長い車はきつい)くらいを止められるスペースがありました。
道路は、門の左側を通って、さらに奥まで同じ道幅で続いています。
その奥に本堂があるのでしょうか。
この日は強風が吹き荒れ、中型三脚にカメラを載せたままにすると、風で倒れるのでは、と
感じるくらいなので、山門だけの撮影にしました。
ここまで来るにも、対向車が来たらどうしよう、雨が降ってきたら滑りそう、とドキドキでした。
杉の木が右に2本、左に1本あり、右手に石柱と説明板があります。
石柱には、「仏頂山楞厳禅寺」と彫られています。
説明板によると、鎌倉時代中期の創建の様ですが、この山門は室町時代中期に造られたようです。
近づいてみます。
正面近く
素朴な四脚門という印象です。
足元には低い柵が周囲を囲んでいます。
建物の色が実に地味で、彩色は見られません。
僅かに、屋根裏が赤みがかっていますが、意識的に彩色したのかどうか分りません。
このページの写真では赤みがはっきりしているように出てしまうかもしれませんが、実際は
ずっと薄いものです。
山門の左手奥から、つまり裏手から正面方向を見たところ。
裏手から正面方向
懸魚(げぎょ)が目に付きます。
同時に、風化が進んでいることに気づきます。
正面内側
額が見えます。
くっきりした白い字で、「竟堅門」とあります。読み方が分りません。
後で漢和辞典を引くと、「竟」は呉音で「キョウ」、漢音で「ケイ」。「境」の文字の旁(つくり)の部分てした。
意味は、境目とか遂に、あるいは終る、などがあるようです。
「竟堅」となると、どうなんでしょうか。「堅」の字は、柔らかいの反対の堅いという意味しか見つからず、
想像できません。
右手から屋根裏
風化がすすんで形が崩れかけた木鼻が目に付きます。
全体的には、いわゆる禅宗様というところですね。
いままで何度も修復されてきたのでしょう。輪郭がはっきりして明らかに時代が後に造られた、
というところも見られます。
2本の本柱は、一段と長く伸び、組物を介して棟木を支える構造です。
正面左手から真横を眺める
四脚門で、6本の柱は全て円柱です。
正面右手から遠望
今度は少し離れたところから。
眺めとしては、電柱と電線がなければよかったのですが。
絵画ならいくらでも省略できるのですが、写真ではそうはいきません。
本堂から外れて、田んぼの中にぽつんと立って、永い年月を過ごしてきたのですね。
地図で見ると、この山門から本堂までは直線距離で400m位あります。
昔はこのあたり一帯が広大な寺域だった、とは考えにくいです。
水戸の薬王院でも仁王門から本堂までの距離は100mくらいですから、400mは長すぎます。
私が見たことのある寺院で広大な寺域をもつと言えば仁和寺ですが、地図で距離を測ると、
仁王門から金堂まで300m位です。
まあ、奈良や京都には大きな寺院が多いですから、400mという距離はあるかもしれませんが、
この地域では、それほど大きな寺院を経営する財力はないでしょう。
では、山中にある本堂の案内として、人目につきやすい場所に山門を置いたのでしょうか。
でも、そういう場合は柱を立てて寺の名前を表示する、というのが普通ではないでしょうか。
不思議な配置です。
片側だけの組物
虹梁を支える巻斗が肘木の片側にだけあります。
通常は、肘木は中央で支えられ、その両側に斗が配置されます。
これでは片持ち梁の構造になり、固定部分に大きな負荷がかかって、具合が悪い。
片側だけの組物-2
もうひとつ別の所。
アップしてみると、肘木と巻斗は角の所がシャープで、造られた年代は比較的新しそう。
右側に映っている木鼻が風化して角が丸まり、渦巻き状の文様も消えかかっている様子とはだいぶ違います。
修理の時に追加したとか。
虹梁の方には削り込みがありますから、巻斗をはめ込むための加工でしょう。
なぞは解けません。
ネットで見ると、片側だけの組物はありますね。たしかに。
でも、どうしても安定が悪い。加重を支える働きがどのくらいあるのでしょうか。
柱の基礎部分
柱の下部は、粽(ちまき)という細身がついて礎盤、そして自然石の礎石、と、このあたりはいつもの通り。
偶然ですが、粽の意義、礎石の上に礎盤を介して柱を載せることの効果について、明解に解説してあるサイトを
見つけました。参考まで。
上記のシリーズでは、他にもとても参考になる情報があります。作者はかなりの見識をもった方のようで、
細部まで詳しく、かつ論理的に解説を進めています。
一言でいえば、大したもんだなあ、というサイトです。
ここにも神社が
お寺には神社がついて回る。いや、神社にお寺がついてまわるのか。
山門からすぐ近くに鳥居が見えます。
長い石段の先には神社の建物でしょうか。
【感想】
本堂から遠く離れて、孤立した山門。
なにか釈然としません。
このほかの文化財としては、県指定はなし、笠間市指定は「木造 大日如来坐像」が本堂に
あるようです。
なにかちぐはぐな感じ。
もしかして、山門の近くにあった本堂が焼失し、どうせ再建するなら山岳寺院として山中に作ろう、
あるいは、焼失した場所は縁起が悪い、ということで、きれいに残った山門はそのままにして、
本堂は別の場所に建てなおそう、とか。
まあ、こんな勝手な想像は意味がありませんね。