【8】茨城県石岡市 善光寺楼門


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茨城県石岡市にある善光寺楼門です。

国指定重要文化財にこの楼門が指定されています。

このシリーズでは、タイトルは寺名とすることにしていますが、こちらの寺では、本堂が見捨てられて
崩壊状態にあります。したがって、ここは例外的に「善光寺楼門」というタイトルにしました。


県道42号線を石岡市から笠間市に向かって走ると、石岡市大田の地に善光寺楼門があります。
県道わきに車数台が止められるスペースがあったので、車を置き、歩いて近づきます。

仁王門です。

簡素なたたずまいで、さすがに国指定重要文化財ということでしょうか、補修がきちんと
行われているようです。

楼門正面

楼門正面

三間一戸の八脚門で、左右の仁王像は、前面に張られた金網で保護されています。

中央の白い蟇股が印象的です。

楼門と呼ばれているので、二階建てのはずですが、ここは二階部分が未完成で一階建ての様にしか見えません。

右側から見てみます。

楼門正面右手から

楼門正面右手から

疎(まばら)垂木、かなりまばらです。

こうして見ると、軒天はなにか変です。垂木の下に板が敷き詰められています。


案内板がありました。

案内板

案内板

「二階部分を造りながらも、何らかの原因により完成を断念した」とありますが、「完成を断念した」
というほど完成を試みた様には見えません。むしろ、「二階部分を造り始めたが早々に断念し、すぐに
屋根を載せた」という印象です。何と言っても、二階部分としては床板に相当する物しかありませんから。


正面上の蟇股

正面上の蟇股

蟇股は室町期として普通の装飾でしょう。

三手先目の斗に丸桁が直接はまっていて、その上には例の板が敷いてあります。
色が不揃いなのは痛んだ板を交換しているのでしょうか。


正面左の軒天

正面左の軒天

中備は蓑束で、シンプルなものです。

この時代のものであればよくある、いわゆる禅宗様とされる渦巻きの修飾がこのあたりに見当たりません。
もともとないのか、あるいは歳月とともに消えてしまったのでしょうか。
いずれにしても、装飾はごく控えめ、と言えるでしょう。


中央部の組物

中央部の組物

木鼻は確かにありますが、外形が波型に削り出されているだけで、模様の様なものは見えません。


内部天井の虹梁

内部天井の虹梁

虹梁の側面と下面に、かろうじて模様が見えました。他のところにもこのような模様づけは
あったのかもしれません。この種の修飾は目立たなくては意味がありませんから。

色づけは全く見えません。これも消えてしまったのか、最初からなかったのか。


柱の基部

柱の基部

柱の下部を切り取ってすげ替えたのが分ります。

礎盤はごくふつうの形です。

礎石は自然石で、上面は平らにしているのでしょうが、それ以外には加工の跡がないと言っていいくらい。


内側から見た楼門

内側から見た楼門

よくあることですが、傾いて見えます。どこがどのように傾いているのかは判然としないのですが、
水平、垂直がわずかに狂っているように感じられます。このように写真を撮って、柱を垂直になるように
回転させると、たとえば屋根が水平でなくなる。屋根を水平になるように回転させると、柱が傾いて見える。
かといって、屋根と柱が直角でない、というのでもなさそう。

長い年月を経ていますから、色々な事が起こってきたのでしょう。地盤自体が傾いてきたのかもしれません。


一つ残念だったこと。門の通路のところに犬のフンらしきものがありました。
犬や猫は自由に往来できますから、こういうこともありうるのかもしれません。彼らに、国指定重要文化財なんて
分らないでしょうから。何とか対策をたてたいものです。


楼門を通り過ぎると、地域の集会所らしき建物があり、御婦人方が濡れ縁で日向ぼっこ。ある意味で豪勢ですね。
重要文化財を眺めながらお茶でも飲んでおしゃべり。


さらに進むと、長い階段があり、林の中に続いています。大体このような場合はその上に本堂があるのですが。


本堂正面

本堂正面

これはショックでした。ネットでそれらしい状況は見ていたのですが、実物を見ると、それはまた別物です。

右端の屋根が完全に崩れ落ちています。

梁間五間の堂々とした建物だったはずです、こうなる前は。

全体に朱塗りで、修飾部分は白という配色です。

向背の飾りものは残っていました。


本堂右

本堂右

屋根が崩れ、ねじ曲がり、縁が崩れ、近づいて怪我でもすると迷惑になりそうなので遠くから眺めるだけにしましょう。


本堂左

本堂左

こちらは大規模な崩壊は免れていますが、屋根が大きくねじれています。

ここから見ると、正面手前側二間分が奥の三間分と戸(格子かも)で仕切られていることがわかります。
側面の手前一間目は縦格子がありますが、二間目は一間目にある腰貫(高さ方向で中央部に水平に渡された
横木)がなく、また幅が狭いので、戸があった様には見えません。

正面手前側二間分が外陣で、奥の三間分が内陣なのでしょうか。それとも手前側二間分は吹き放ちでしょうか。

常陸大田市の佐竹寺も梁間五間の作りで、正面手前二間分が吹き抜けていて、奥とは格子で区切られています。
解説板には外陣と書かれていました。同じ構造なのでしょうか。


【感想】

楼門よりも、崩壊している本堂の方が印象に残ってしまいました。
廃屋というところから、テレビ番組のロケに使われた事があるそうです。

私は現在、茨城県の国指定重要文化財の寺院建造物、というテーマで写真を撮っているのですが、廃屋になった
本堂というのは初めてです。今後もないでしょう。

修飾が簡素な点から、かなり古い建物の様な気がします。ただし、軒天辺りの部材はそれほど朽ちてはいないので、
たとえば江戸期以降に建て替えられた(あるいは大規模な改修がなされた)様な気がします。その後に無住になり、
崩壊したものでしょう。きちんと残っていれば、貴重な文化財だったのではないでしょうか。

今から再建するのは大変なことですね。



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