考えてみると=まじめ編=原発


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【18】日本原電が原子力規制委員会から注意を受けたことについて (2014/4/12)

注意文書の受領

日本原電は、原子力規制委員会から注意文書を受領したことを2014年4月2日付のプレスリリースで公開しました。

このプレスリリースに添付された注意文書の一部を以下に引用します。

・・・・核物質防護規定に定める無停電電源装置の設置について、設置期限超過後、約3 ヶ月間に渡り、自ら当委員会に申告することなく、未設置の状態を継続させていた事象( 核物質防護規定遵守義務違反) を確認しました。
このような事態に至った根本的な原因として、核物質防護管理者を含む核物質防護担当者の法令遵守、核セキュリティに対する意識が不足していたこと及び組織的な業務のチェック機構が欠如していたことが挙げられます。・・・・

別の件の注意も書かれていますが省略して、上記に対する日本原電のコメントは以下の様になっています。

・・・・本件の原因は、法令遵守、核セキュリティに対する意識の欠如、核セキュリティ・核物質防護規定遵守に対する管理意識の不足から猶予期限の意義と期限の遵守を十分確認しなかったこと、また、・・・・

注意点てして原子力規制委員会は「法令遵守、核セキュリティに対する意識が不足していた」と指摘したのに対し、日本原電は「法令遵守、核セキュリティに対する意識の欠如」という認識をしています。

「法令遵守、核セキュリティという重要な事項について意識が不足していた」のではないですか?と指摘したところ、「そういう意識は不足どころか欠けていたんです」という回答で、これには原子力規制委員会も"口あんぐり"というところでしょう。「意識が不足」という指摘に対して、「意識がなかった」と白状してしまいました。

多分、日本原電の内部では、「法令遵守?核セキュリティ?そんなもん、はなからねーよ」という意識なのでしょうね。そうでなかったら、ニュースリリースという重要な情報に関して誰かがチェックを入れてるはずです。それがすんなり通ってしまった。みんながそう思っているんでしょうね。

責任を感じない、投げやりな態度が表れているのだと感じました。追い詰められているのでしょう。

日本原電の置かれている状況

日本原電は会社存続の岐路に立っています。

1970年 敦賀発電所1号機営業運転開始。
1978年 東海第二発電所営業運転開始
1987年 敦賀発電所2号機営業運転開始

敦賀1号機と東海第二は営業運転開始からそれぞれ44年、36年が経過し、楽観的に考えてもこれから長くはない。敦賀2号機も27年が経過。計画中の敦賀の3,4号機に期待するほかにないが、福島第一の事故で見通しが立ちません。少しの間は2号機だけとなると、それだけで発電量が1/3になるわけで、そのあとは真っ暗。いつまでも電力会社に支援を受けて会社が持つはずがない。

私が生き残り策を考えるとしたら、初めて原発に乗り出す電源開発に言いよって、事業協力という形でなんとか生き延びる、というくらいしかないでしょうね。そのほかでは、海外への輸出といっても、自分のところでプラント建設とか原子炉、発電機器製造はできるのでもないし、インフラとしての電力という形なら電力会社にかなわないわけで、どうにも方法がない。

近所の例

私の近所に、ある信用金庫の支店があります。経営難ということでしょうが、支店の統廃合が予定され、この支店は近くの別の支店と統合されることが発表されました。この情報を聞いて、そういうことか、と納得したことがあります。

最近、職員の態度がひどい、と感じていたのです。愛想がない、たいていは機嫌が悪い様な顔をしていて、また、高齢の客が書類に記入するのに苦労しているのに椅子をすすめるのでもなく、代筆はだめ、と冷たかったり。金融機関だから細かなところまできちんとやります、というのではないものを感じるのです。あるいは定期預金を解約しようとすると、今はやめない方がいい、とか言ってやめさせようとする。以前はこんなではなかったのに。

統合といっても大きな支店に吸収されるわけですから、移動する職員にとっては環境が良くなる事はないでしょう。一人ひとりにとって環境条件が低下せざるをえない。小さな支店ですから、いままでは職員と客とは顔を知っていてある程度の信頼関係が築かれていた。それがなくなる。よほど気をつけないと働く意欲もなくなろうというものです。モラル(士気)が低下するはずです。

心配なこと

日本原電がこのようになる可能性は十分あります。そうならないようにするにはどうしたらいいのか。戦争は負けて逃げるときが一番難しい、というのを聞いたことがあります。撤退するときにはどのようなことをしなければいけないのか。単に逃げるのではいけなくて、きちんと後始末をしなければならない。それに直面しているのが1999年に臨界事故を起こした(株)ジェー・シー・オー(以下、JCO)です。ウラン再転換事業の許可が取り消され、現在は放射性廃棄物の保管管理、施設の維持管理のみの業務です。親会社の住友金属鉱山株式会社のホームページでは、国内グループ会社の分類の中に記載があり、資本金1000万円、従業員数34名とあります(2014/4/12確認)。


先細りしていくななかで、必要なことをきちんとやり遂げるにはどうするべきか。そんなことを考えなければならない状況が迫っています。

今の設備を廃炉にするだけの資金は日本原電にはありません。事業が継続できないのです。事業を終える企業に融資する銀行はないでしょう。また国が全面的に対応するのですかね。ようするに国民が納めた税金の投入ですからね。


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