小品いろいろ


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【8】ひどい歌詞

長い間気になっていたことがあるので、ここで書いておきたい。二つの詞―楽曲の歌詞―である。

(1)智恵子抄 丘灯至夫作詞

1950年生まれの私は、この曲が当時のいわゆる歌謡曲としてある程度ヒットしたのを知っている。歌詞の最初はこうなっている。

東京の空 灰色の空
ほんとの空が見たいという
拗ねてあまえた智恵子

なんてひどい詞だろうと心から思う。こう書いていて、本当に腹が立つ。

何も書きたくない、と思う一方、この詞がどれほど残酷なのかを指摘する人がいままでネット上で見つからなかったので、かなり腹を立てながら、ここに書いておくことにする。

「拗ねてあまえた智恵子」

この言葉を思うだけで、マウスをモニター画面にたたきつけたくなる。

どうしてこんな不躾な、無理解な、冷酷なことぱを書く事ができるのか。

高村光太郎が歌ったのは「あどけない話」で、こういう内容である。

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいという。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。


光太郎は「きれいな空」と感じていたのに対し、智恵子は「これはほんとの空ではない」と言う。

この二人の認識の違いは、結局二人の間に、越えられない溝があったことを物語っているのだろうが、そんな面倒な話は不要だ。

「拗ねてあまえた智恵子」

作詞家の丘灯至夫がこの詞を書いた頃は、長沼智恵子に関する理解はこれほど浅かったのだろうか。

ここでいけない、と言っているのは、この様な表現が、長沼智恵子という一人の人間を陥れることになっているからである。

これは誰の罪か。作詞家丘灯至夫か、当時の時代背景か。しかし、そのような時代であったにしても、作品として発表すれば、作者はその内容に責任がある。

「拗ねてあまえた智恵子」

この表現が、光太郎の詩のどこから導かれるのか。

いや、そのようなことはどうでもいいのだろう。「拗ねてあまえた智恵子」という言葉で一つのイメージを作りあげれば、それが事実であろうと、誤解であろうと、個人に対する冒涜であろうと、気にならないのだろう。

私は、書く内容について、その根拠をできるだけ書き残す事をモットーにしているので、腹が立つのだが、いくつか書いておく。

長沼智恵子は「拗ねてあまえ」るような態度とは正反対な心情を持ち続けた人である。

たとえば、光太郎と一緒に暮らすようになっても、智恵子は「籍を入れる」というような形式的なことはいやだ、といい、二人は入籍しなかった。結局、智恵子が精神に異常をきたし、光太郎の知人から「籍を入れたほうがいいのではないか」と助言を受けて、智恵子が了解しないまま、光太郎の一存で籍を入れ、光太郎はその時に初めて智恵子の年齢が分かった、と書いている。

平塚雷鳥の「青鞜」の創刊号の表紙を長沼智恵子が書いている。明治末の事である。平塚雷鳥の「青鞜」と云えば、中学校の歴史の教科書にも出てくる。

日本で最初にズボンをはいたのは長沼智恵子だとされている。当時自転車がはやり、自転車に乗るには袴ではペダルがこぎにくい、というので足もとのところでくくって自転車に乗っていたと言う。

当時の最先端の、正に「新しい女」の一人だったのである。

智恵子は、画家として独り立ちしたかった。そのために福島から東京に出てきたのだ。絵の勉強を続けるための費用の工面を実家宛ての手紙に書いているのを見ると、実にせつなくなる。画家としては成功しなかった。何かを残したか、というと、精神に異常をきたしてから、切り絵に没頭して、その作品は大したものだったということを光太郎が述懐している。

「拗ねてあまえ」るとは、一体どういうことだ。

作詞家の丘灯至夫は、福島県小野新町生まれで、福島県郡山市で小学校から高校までを過ごしている。福島県出身という点では智恵子と同じである。それでも、同郷の先人の事を全く理解していないのだ。


(2)歓喜びの歌 文部省唱歌 岩佐東一郎作詞

さて、こちらは、がらっと雰囲気が変わる。

ベートーベンの交響曲第九番の第4楽章の主題歌を"日本語にした"ものである。

これがひどい内容だ、というのは、私が言いだしたのではない。どこかで、誰かが書いていた、あるいは誰かが発言していたのを、「本当にそうだ」と感じた事を記憶しているのだ。私のオリジナルではない、ということを先ず書いておく。(正直なところ、私のオリジナルな考えであったなら、どれだけよかっただろうとは思う。)

はれたるあおぞら
漂う雲よ
小鳥は歌えり
林に森に

このたるみきった言葉はどうだろう。

翻訳すると、たいていは元の姿のグレードが下がる。文章がだらけて、あいまいになり、しまりがなくなり、格調の高さが減ずる。これは、古典文学の現代語訳を読むとすぐわかる。古典文学とはいっても日本語だから、注釈や解説を読めば次第に意味がつかめるようになる。そのあとで現代語訳を読むと、いつもがっかりする。

この詞は翻訳したものではない。メロディーは残して、歌詞を入れ替えたものである。

詞を書いたシラーと曲を付けたペートーベンに対して、失礼ではないだろうか。

これを歌うとしたら、幼稚園児くらいかな。まともな大人が歌うものではないし、小学生でもこれを歌うのはちょっと恥ずかしいのではないだろうか。小学生の少年少女合唱団で取り上げたら、「こんな幼稚な歌はいやだ」なんていわれそう。

この歌詞は、音楽に対する入門としての意味があるのだろうか。幼児体験としてこの歌を聞いていて、成長してから本物のベートーベンの第九交響曲を聞いて、「あっ、このメロディーは小さい時に聞いたことがある」といって、懐かしがり、クラシック音楽に親しみを覚える、とか。

いや、幼児体験としての子の歌の記憶は、何かの役に立つとは思えないな。

参照した資料

【"智恵子抄"という歌の歌詞】

"歌詞検索サービス 歌ネット"の検索のページ

【長沼智恵子】

智恵子から光太郎ヘ 津村節子 高村規 講談社文庫 講談社 昭和54年1月

高村光太郎 駒尺喜美 講談社現代新書 講談社 昭和五五年一二月

女の首一逆光の「智恵子抄」黒澤亜里子 株式会社ドメス出版 1986年6月

高村光太郎のフェミニズム 駒尺喜美 朝日文庫 朝日新聞社 1992年6月

中公文庫 日本の詩歌10 高村光太郎 中央公論社 昭和49年9月

【よろこびの歌】

ごんべ007の雑学村のサイトのここから「よろこびの歌」の歌詞を検索可能



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