日本語のあれこれ日記【7】

日本語の心ひかれる言葉トップ10

[2016/5/11]


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始まりは「押すな押すな」

以前から、「押すな押すな」という表現が実におもしろいなあ、と思っていました。

イメージがわきやすいことでは一番ではないでしょうか。雑踏の中で、みんなが「押すな押すな」と騒いでいる様子が思い浮かびます。

このように、心ひかれる表現・言葉のトップ10を選んでみました。

(1) 押すな押すな

広辞苑にも「押す」の項に、慣用句として載っています。

英語に訳するとどうなるでしょうね。

"Don't press! Don't press!" というところでしょうか。

この例のように、単語を繰り返す表現はおそらくどこにでもあるでしょう。

「押せ押せ」というのもあります。「我がチームはこのホームランで一気に"押せ押せ"のムードになった」というような使い方です。

これもイメージがよくわきます。「行け行けムード」という感じでしょうか。


「行け行け」という言葉に釣られてあるエピソードを思い出しました。

ロックンロールの名曲"Go Johnny go"を引き合いに出すのはちょっとどうかとは思いますが、なかなか考えてしまうところがあります。

サビのところで、"Go Johnny go go"と繰り返すのです。日本語にするなら、「行け、ジョニー、行け行け」という感じでしょうか。

この曲は子供のころから聞いていました。"Chuck Berry"というロックンロールの草分けとでもいうべき人の作品のようです。

子供の時に耳に聞こえたのは、「ゴータニゴーゴー」なんですね。

この「ゴータニゴーゴー」ですが、特別な思い出があります。

家族で海外旅行に行ったのはたった一回、行先はカリフォルニア(ロサンゼルスとサンディエゴ)でした。最初の三泊はサンタ・モニカで、多分二日目だったと思いますが、サンタモニカピアに出かけると、素人参加の歌のコンテストのような催しがあって、二人組の女の子がこの曲を歌っていたんです。

「ああ、昔聞いたことがあるなあ」と懐かしい思いがして、帰国してから、なんという曲だったかな、と調べたところ、「ゴータニゴーゴー」、ではなく、"Go Johnny go go"というフレーズだということが分かったのです。また曲の題名は、"Go Johnny Go"でした。

隋分脱線してしまいました。

(2) 押しも押されもしない

「押すな押すな」に続いて、また「押す」というものを選ぶことには迷いがあったのですが、単純な繰り返しではないということから一つの項目にしました。

この言い方も「うまいなあ」と思います。

自分でトップの位置にいることを理解し、他人もそうであることを認めている。

トップにいるから、それ以上"押す"必要がない。周りの人もその存在を認めていて、"押し"のけようとする人もいない。

いいですねえ。

(3) はがゆい

漢字で書くと、「歯痒い」。「歯が痒(かゆ)い」のですね。

「歯」が「かゆい」。一体、どういう発想なのでしょう。

「歯ぎしり」という表現があります。「歯痒い」よりも一段と激しい感情です。歯を強く噛んで"きしませる"というところですね。こちらは現実にあってます。

「歯が痒い」。この感覚はどこから来たのか、さっぱりわかりませんが、じれったい、という感覚がうまく表現されて感心します。

(4)わがもの顔

「"それは自分の物だ"というような顔つき」というわけです。これもうまいですね。

「顔」については、「物知り顔」とか「訳知り顔とかがあります。

最近の"はやり"では「ドヤ顔」が一番ですね。「どや」というのは関西弁でしょう。ニュアンスとしては「どんなもんだ」、「どうだ、すごいだろう」という所ですね。

(5) やれやれ

これも繰り返しですが、「やれ」という言葉のイメージがちっともわきません。

この言葉の面白いところは、良い方の意味と悪い方の意味の両方があることです。

「やれやれ、これで一安心」、これは良い状態になった場合です。

「やれやれ、今までの苦労が台無しだ」、これは悪い状態になった場合です。

共通の意味を考えてみると、"強い感情の変化"があったとき、ということでしょうか。ただし、"強い"といっても"それほど強くはない"のです。

「やれやれ、これで一安心」とは、"ひとまずは安心"という程度です。

「やれやれ、今までの苦労が台無しだ」というのも、失敗した人を怒鳴りつけるのでもなく、悲嘆にくれる、というものでもなく、「しかたがない、次の方法を考えよう」などというわけで、いうなれば"ちょっとだけ強い感情の変化"というところでしょう。

(6) まてよ、はてな

不思議な間投詞です。

「待てよ」でしょうね。相手に向かって「待て」と命令する使い方ではなく、自らに対して発する言葉の方です。

それまでの考えをいったん止めて、別の考え方を選ぶ時に使うのでしょうか。微妙ですね。

「はてな」は「はて」+「な」でしょう。何か理解しがたいことが起こったのです。そこで「はてな」と考え込む。ちっともわかりませんね。

"?"を"はてなマーク"と言うことがあります。これはうまい表現です。英語のクエスチョン・マーク("question mark")よりずっとうまい表現だと思います。

(7) ことなかれ主義

「○○することなかれ」で押し通すことで、普通は否定的に使いますね。

「官僚の事なかれ主義」というのが、現代国語例解辞典(*)の文例にありました。これは批判的な文脈で使われる表現でしょうね。

「そんな事なかれ主義ではこの状況は改善しない」などというように、否定される性質の言葉です。

「他力本願」という言葉も批判的な文脈で使われる事が多いのですが、こちらは、それは違う、と反論されます。「他力本願」がややもすれば「努力をしないで、他人の力に一方的にすがる」、という意味で使われることがあり、それに対して、仏教で言うところの「他力本願」とはそういう考え方ではないよ、という反論があるのです。

「事なかれ主義」には肯定的に解釈することはないでしょう。

「他力本願」の本当の教義について私は何も言えないので、これ以上はやめておきます。

(8) 成り行き

「成り行きに任せる」とか、「成り行き次第では」などという言い方をします。

何かをはっきりと指定するのではなく、周囲の影響で決まっていくのに任せる、ということです。

指定しないのだから何も言わなくていいのではないか、とも考えられます。それを明示的に「"指定しない"と指示する」ところが面白いところです。

以前に、ポスターの編集方法を解説した記事を目にしたことがあります。

あいまいな記憶ですが、「成り行き」という言葉の使われ方に限って言うと、たとえば、青空と山を背景にして女性がその地方の特産の果物を抱えている、という構成のポスターで、編集者が印刷に回す時に、

青空と白い雲はコントラストを強めに、人物の顔は明るく、果物は色を強く、背景の山肌はなりゆきで

というように指示するです。

背景の山肌は重要ではないので特に指示はありません、というところで、何も言わないのではなく、成り行きでよい、と指示するところがおもしろいと思いました。

たとえば「青空と白い雲はコントラストを強め」にすると、山肌の色にも影響してしまいます。それでいいですよ、と言っているのです。そう言わないと、山肌の元の色は変えてはいけない、ということになるのか、そのあたりはよくわかりません。

いずれにしても、どうでもいいですよ、とわざわざ言うところはちょっと考えさせられます。

(9) 割り切る・割り切れる

感情に流されずに、規則とか原則とかに従って物事を決めて納得する、というのが「割り切る」で、そうしようとしても、どうしても引っかかるものがある、というのが「割り切れない」。このような感情の機微を表現するところで、算術の割り算の表現を持ってくる、というのが面白いです。誰が言い出したのでしょうね。

とくに、「割り切れない」という切ない思いに、割り算で余りが出る、という表現を使う、というのは大きな発想の飛躍で、なかなかできないことです。

(10) 怖ず怖ずと

「怖ず」とは文語では「怖づ」で、現代語では「怖じる」となります。ですから、もともとは、動詞の終止形を二度繰り返す、という言葉です。

「恐る恐る」、「代わる代わる」というのも同類でしょうね。動詞の終止形の二度繰り返しです。

「こわごわ」というのは、「こはし」の語幹であると想像します。古語大辞典(*)によると、「こはし」は「強し」で、もともとは「強い」とか「固い」と言う意味で使われ、「恐ろしい」という意味で使われるようになったのは中世以後、とされています。

今回の記事で、「押すな押すな」、「押せ押せ」などの繰り返しの表現を取り上げていますが、この様なタイプの表現は日本語には実に多いです。

言葉を創り出す時に、それまでにある言葉を繰り返す、というのは単純な技法と言えるでしょうが、その結果が、微妙な表現を実現している、というところは実に面白いです。


(*) 引用元については、この記事の末尾の「参考文献について」のリンク先を参照願います。



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