日本語のあれこれ日記【28】

原始日本語の手がかりを探る[19]―万葉集におけるカ変動詞来(ク)とラ変動詞来り(ケリ)について

[2017/11/13]


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カ変動詞来(ク)とラ変動詞来り(ケリ)

前回の記事で動詞来り(ケリ)について触れました。また、来り(ケリ)は"来"の連用形"き"とラ変動詞"あり"をつなげた"きあり"が変化したもの、という説についても触れました。

そこで、動詞"来"、"来り(ケリ)"について調査することにしました。

もともと、上古の時代であっても日本語文法はかなり安定しているのであり、そのなかに上古以前の"なごり"を探そう、ということですから、調査対象は記紀万葉と言うことになります。

個人的には、古事記と日本書紀は原文はかなり"中国語的"という印象を持っています。

古事記の冒頭はこうです。

【原文】臣安萬侶言夫混元既凝氣象未效無名無為誰知其形

【読み下し文】臣(やつかれ)安萬侶(やすまろ)言(まをす) 夫(それ)混元(まろかれたるもの)既(すでに)凝(こりて)。氣象(いきかたち)未効(あらわれず)。無名(名もなく)。無為(わざもなく)。誰知其形(だれかその形をしらむ)

新版 古事記 現代語訳付き 中村啓信訳注 角川学芸出版 平成22年5月再版発行

「未效、無名、無為、誰知其形」など、漢文の書き方がそのまま踏襲されています。

含まれる歌謡の部分は1音1文字で書かれていてそれは重要ですが、古事記、日本書紀でそれぞれ100首強というところで、少ないです。

従って、万葉集を対象にすることにしました。

調査の基本方針

(1) 参照した本

以下の4種です。

(a)中西進 万葉集 全訳注原文付(一)~(四) 講談社文庫 講談社 2009年12月
(a')中西進 万葉集 全訳注原文付 講談社文庫 講談社 昭和59年9月 (*)
(b)佐竹昭広・木下正俊・小島憲之共著 増補版 万葉集 本文篇 塙書房 平成13年3月
(c)井出至・毛利正守 新校注万葉集 和泉古典叢書 和泉書院 2012年3月
(d)新編国歌大観 第二巻 私撰集編 歌集 角川書店 昭和59年3月

(*) (a')は(a)の中西進 万葉集(一)~(四)の一冊版で、その冒頭にある凡例では「本書は講談社文庫『万葉集全訳注原文付き』の本文篇四冊を拡大合綴し」と書かれています。内容はページ割りまで文庫版と同じです。そこで見やすさ、取り扱いのしやすさの点から参照するのは途中で一冊本に切り替えました。文庫本の発行時期は私が持っているものは2009年の第43刷ですが、初版は1978年なので、一冊版のほうが後になります。

以下、それぞれの略称を、中西本、佐竹・木下・小島本、井手・毛利本、大観本とします。

(2) 訓について

訓は、気になる歌については各本をチェックしました。大観本では、その底本である西本願寺本の訓と、「現代の万葉研究でもっとも妥当と思われる新訓」の二つが書かれています。それらをみて総合的に判断します。以下ではそれぞれ旧訓、新訓と略称します。

訓は歌の解釈に依存することがありますが、解釈は上記の4本では中西本のみにありますので、それを参照します。

(3) 手順

具体的には以下の手順で行います。

(i)万葉集の歌から"来"の文字が使われている部分をピックアップする

(ii)"来"の文字の読みを明らかにし、使われ方を分類する

(ii-1)動詞"来"は、活用形「こ/き/く/くる/くれ/こ」のいずれか

いままで活用形についてのべたときにはおおむね命令形を除いていました。今回は動詞"来"が対象でその命令形は上古では安定して"こ"でしたので、今回は命令形も含めます。

(ii-2)動詞"来"以外は、動詞"来"に関連する言葉か単に音を借りているものかなどの分類

(iii)評価する

調査結果(1) 動詞"来"

487例を検出しました。

各活用形の出現数とその割合は以下です。

表1

活用形 出現数 割合(%)
未然形"こ" 134 27.5
連用形"き" 228 46.8
終止形"く" 25 5.1
連体形"くる"54 11.1
已然形"くれ"33 6.8
命令形"こ" 13 2.7

その中で判断に迷う歌が2首見つかりました。

1028 里尓下来流 里におりくる/里におりける

4254 所知来流 しらしける/しらしくる

1028番歌は、"里におりくる"なら"くる"は動詞"来"の連体形ですが、この訓を採用するのは大観本の旧訓のみです。従って現在の研究成果からは"里におりける"が妥当とみられていることになります。

"ける"とは、過去の助動詞"けり"の連体形か、動詞"来(け)り"の連体形か。

この歌は「山で猟をしたところ、ムササビが街中に逃げてきたので生け捕りにして、天皇に差し出す時に歌を書き付けようとしてこの歌が詠まれたが、まもなくムササビは死んでしまったので、天皇に差し出すことは中止になった」という内容の説明文があります。

その状況では、「このムササビは里に逃げ下りてきた」という表現が合います。

天皇が参加して猟をしていた時に動物が追い詰められ、その結果里に下りてきた、ということなら、猟の成果でもあるわけで、天皇に報告することも頷けます。

「里におりける」の"ける"を動詞"来(け)り"と考えてみます。"来(け)り"は"動詞来(き)+アリ"ですから、「来て目の前にいる」、という意味ととらえられます。たとえば、里に下りてきた動物が目の前で逃げ回っている、というようなニュアンスの様に感じられます。

この場面は、すでにムササビが゜とらえられて、たぶん檻の中に閉じ込められているのでしょう。それなら、単に「里に下りてきた」という表現が適していると思われるので、助動詞"ける"とします。

4254番歌は、"知らしける"(中西本)、"知らしくる"(佐竹・木下小島本、井手・毛利本)で、大観本では旧訓は"しろしくる(しろしける)"、新訓は"しらしくる"で、"知らしくる"が多数派です。

この部分は「天皇が次々と邪魔者を平定してきた」というものです。

"しらしける"の"ける"を過去の助動詞"けり"の連体形とするなら"平定した"、ですが、動詞"来(け)り"の連体形なら"平定してきた"、になります。

"しらしくる"では"平定してきて今に至っている"というニュアンスでしょう。どちらともとれるように思われます。

これと同じような表現が4094番歌にあります。

4094 葦原能 美豆保國乎 安麻久太利 之良志賣之家流 須賣呂伎能 神乃美許等能 御代可佐祢 天乃日嗣等 之良志久流 伎美能御代々々
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代

4254 蜻嶋 山跡國乎 天雲尓 磐船浮 等母尓倍尓 真可伊繁貫 伊許藝都遣 國看之勢志氐 安母里麻之 掃平 千代累 弥嗣継尓 所知来流 天之日継等
蜻蛉島 大和の国を 天雲に 磐舟浮べ 艫に舳に 真櫂しじ貫き い漕ぎつつ 国見しせして 天降りまし 払ひ平げ 千代重ね いや継ぎ継ぎに 知らし来る 天の日継と

4094番歌の「天乃日嗣等 之良志久流」と4254番歌の「所知来流 天之日継等」は良い対応を見せていて、4094番歌では"之良志久流"は明らかに"しらしくる"ですから、4254番歌でも"所知来流"は"知らしくる"とするのが妥当と思われます。

もともと、助動詞"けり"と動詞"来(け)り"は動詞"来"の連用形"来(き)"に動詞"あり"が付いたものと考えられています。

その意味ではどれにも動詞"来"の要素があり、微妙な所です。

調査結果(2) 動詞"来"以外の"来"

165例を検出しました。

"来"の文字の使われ方を分類して集計しました。

表1

分類 出現数 割合(%)
助動詞けり 99 60.0
動詞来(け)り 3 1.8
助動詞けらし 8 4.8
助動詞けむ 1 0.6
動詞活用語尾+助動詞リ1 0.6
形容詞活用語尾ク3 1.8
形容詞、助動詞の活用語尾キ2 1.2
単なる音キ 3 1.8
単なる音ク 10 6.1
単なる音コ 3 1.8
去来イザ 9 5.5
比来コノコロ 11 6.7
日来コノコロ 1 0.6
往来・去来カヨフ 10 6.1
従来ムカシヨリ、ヨリ 1 0.6

特徴的なものについて書き記しておきます。

(1)「動詞活用語尾+助動詞リ」の1例は、以下です。

1207 赤石門浪 未佐和来 明石の門波(となみ)いまだ騒(さわ)けり

"騒ぐ"は上代では"さわく"で四段活用です。従ってここの"けり"は動詞"さわく"の已然形"さわけ"の活用語尾"け"+過去の助動詞"り"ということになります。

(2)「形容詞の活用語尾」は以下の3例です。

0027 良人四来三 良き人よく見

1052 高来 高く

2334 戀為来 恋ひしく

(3)単なる音として"キ、ク、コ"があります。それぞれ一例だけ挙げると次のようになります。

3879 熊来酒屋 くまきさかや 熊来酒屋は固有名詞の一部

3311 隠来乃 隠口の "隠口の"は地名"泊瀬"にかかる枕詞

3791 我丹所来為 我れにおこせし "おこせ"の"こ"と"来"を対応づけます。必ずしも漢字と訓がぴったりと対応してはいません。

(4)往来、去来はいずれも"行く"と"帰ってくる"の組み合わせであり、"かよふ"の訓は妥当といえるでしょう。

検討(1) 動詞"来"の未然形"こ"、連用形"き"

この二つで全活用形の70%以上を占めます。

すでに「助動詞が接続する相手の動詞は、未然形が50%と断然多い」と書きました。

具体的には、未然形に接続する助動詞は15、連用形に接続する助動詞は7です。

今回の調査では未然形は27.5%、連用形が46.8%です。つまり未然形は連用形の60%程度です。

表面的にはどうも整合性がとれません。

もともと、未然形に接続する助動詞、連用形に接続する助動詞といっても、出現頻度は一つ一つ違うでしょうから、単純な比較はできません。


ただし、今回の調査で感じたことは、動詞"来"の連用形"き"は動詞と接続する例がとても多かったのです。

来鳴く、来向かふ、(潮)満ち来、通ひ来、別れ来、帰り来、去り来、明け来、漕ぎ来、などなど。

そこで改めて、連用形"き"が何に接続していくか、を調査しました。比較のために未然形"こ"も調査対象としました。

検討(2)(調査を含む) 動詞"来"の未然形"こ"と連用形"き"の次に続く言葉

次のような結果になりました。

表2

こ+助動詞 こ+助詞 き+助動詞 き+動詞 き+助詞 き(終止) 合計
130 5 123 76 23 5 362
35.9% 1.4% 34.0% 21.0% 6.4% 1.4% 100%

(パーセント値の合計は100.1%ですが、丸め誤差のためです。)

"こ+助動詞"が最多で、僅差で"き+助動詞"、その次は"き+動詞"が続きます。

つまり、"未然形+助動詞"が最多で、僅差で"連用形+助動詞"ということです。

このことは、未然形、連用形が存在する、言い換えると必要になる理由の主なものは、助動詞、動詞と接続させるため、という見方が可能です。

"来(こ)ず"と言い、"来(き)て"と言う、このような表現がわかりやすい、ということでしょう。

活用しない場合、"来(く)ず"、"来(く)て"となります。違いが明快です。

現代語で言えば、「彼が来るない」、「彼が来るました」、「彼が来るば」とくらべて、「彼が来(こ)ない」、「彼が来(き)ました」、「彼が来(く)れば」の方が"違い"がわかりやすい。

もっとも、これは現代語の活用になじんだ人間の感じ方ですから、かなり差し引いて考えなければなりません。


(2017/11/26) 以下、修正および追記

上記に示すように、"こ"、"き"という未然形、連用形は全体の中で70%以上を占めます。

ですから、活用が必要になる要因としては、第一に"こ"、"き"という"く"とは異なる活用形が求められていた、ということが考えられます。

それに比べると、連体形・已然形が"く"と異なる活用形をもつ必要性は一段と低かった、と思われます。


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