日本語のあれこれ日記【27】

原始日本語の手がかりを探る[18]―9活用形以前について

[2017/10/17]


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9活用形

原始日本語の手がかりを探る[4]―動詞の活用で、中古の活用の種類を整理しました。

その記事の表8が活用としての変化部分を抽出したもので、次に再掲します。

これは通常の活用表の活用部分のうち、ラ行音の"りるれ"の部分とその直前の母音をローマ字で"i/u/e+r+u/e"とあらわし、その内の"ir/ur/er"を削除したことが得られたものです。詳しくは上記のリンク先を参照願います。(なお、元の表の○○正調などの行は今回の記事では関係しないので削除してあります。)

表 1

活用の種類 四段 ナ行変格 上一段 上二段 下一段 下二段 カ行変格 サ行変格 ラ行変格
語の例 読む 往ぬ 見る 起く 蹴る 得(う) 来(く) 為(す) あり
未然 a a i i e e o e a
連用 i i i i e e i i i
終止 u u u u u u u u i
連体 u u u u u u u u u
已然 e e e e e e e e e

なお、下一段活用は"蹴る"の1語だけで、上古(おおむね奈良時代)にはなく("蹴る"はこのときは下一段または下二段活用と考えられている)、中古(おおむね平安時代)に"蹴る"が下一段活用になって、その唯一の動詞となったものと見られています。その点では下一段活用は、問題にしている上古またはそれ以前の日本語にはなかったのですが、上一段・上二段・下一段・下二段活用という構成はバランスがとれていると思われるので含めています。

今後、この取り扱い方を変えるかどうかは分かりません。この当時の下一段活用の動詞はなかった、ということは注意を要します。

この表では、終止・連体・已然の3行は、ラ行変格を除く8活用形において同じです。

このことから、これ以前の活用の種類は、たった一つ、四段の"a/i/u/u/e"のみであり、その後、未然・連用形にバリエーションが生まれて8活用形となったという考えが頭の片隅にあったのですが、あまりに根拠がないので、いままで書くのをためらっていました。

今まで何度か、「単なる想像です」、とか「妄想です」、とか書いてきたのですが、そう書くのさえおこがましいくらい根拠が乏しかったのです。

原始日本語の手がかりを探る[12]―中間まとめでは、「この活用表から想像されること―活用のパターン」のところで、助動詞が接続する相手の動詞は、未然形が50%と断然多い、ということから、これが活用形が大きく増えた要因の一つと考えられる、ということはすでに書きました。

最近、「四段活用だった動詞のいくつかが奈良時代あるいはそれ以前に下二段活用に変化したと考えられる」、という例があることを知り、根拠と考えることができるところが一つ出てきたために、ここであらためて、「9活用形の前に四段型の単一活用形の時代があった可能性がある」ということについて書き残して起きたいと思います。

四段活用から二段活用に変化した動詞

"隠る"という動詞は四段活用から二段活用に変化したとされています。日本国語辞典精選版では次のように説明しています(当サイト管理人による要約です)。

○ "隠る"の語について、自動詞ラ行四段活用と、自動詞ラ行下二段活用の2種類を上げている。

○ "隠れる"の語について、その語誌欄では次のように説明している。

もと四段活用で、奈良時代以前に下二段に転じたものと見られる。同様の変化を見たものに「忘る」「触る」がある。奈良時代におけるこれらの語の四段、下二段の並立に意味的対立を見ようとする説もあるが不明。

○ 意味、用法は現代語との隔たりを見いだすことができず、この語が日本語の中でも、きわめて基礎的な語であることを示している。

これは、いくつかの動詞で、四段活用と下二段活用の両方が使われていた時期があり、その後下二段のみとなった、ということでしょう。

最初は四段活用であり、その後下二段活用が出てきて一定期間は両方使われ、次第に四段活用が使われなくなって下二段活用の形だけになった、と考えるのがスムーズであるように感じます。

ここで指摘された"隠る"、"忘る"、"触る"は比較的遅くまで四段活用が残り、文字が使われる時代まで続いたために記録が残ったということだろうと考えます。

つまり、 いままで何度も書いてきた "r化" の現象も含めると、活用は次のような変遷を辿ったと考えるのです。

(1)動詞の活用形は"aiuue"の四段活用のみ

(2)未然形・連用形が変化して、"aiuue"、"iiuue"、"eeuue"、"oiuue"、"eiuue"の5種類に分かれた。

(3) "r化" によって一部の動詞の連体形と已然形が"uru"、"ure"と変化した。具体的には"ai"型からナ変が、、"ii"型と"ee"型から上二段、下二段が分離した。"oi"型と"ei"型は動詞の数が少なかったことにより、所属する全動詞の連体形と已然形が"uru"、"ure"と変化した。

(4)ここにおいて、動詞の活用形は、四段、上一段、上二段、下一段、下二段、ナ変、カ変、サ変の8つの活用形が整備された(ラ変はこの変遷とは別の原理で独立している)。

上記の(1)~(3)は断続的に進んだものではなく、混在期間が比較的長かったと思われます。

というのは、言葉というものは急激に変わるものではない、という一般論だけではなく、上記のように、「四段活用と下二段活用の両方が使われていた時期があり」ということや、以前の記事で書いた、「第1次 "r化" で上二段、下二段が発生し、このときに変化しなかった上一段、下一段はその後の第2次 "r化" で変化し、第3次 "r化" (現代語に至る)で上二段、下二段がそれぞれ上一段、下一段に移行した」という考え方から来ています。

動詞"来"の已然形"け"

動詞"来"の活用形の別の形がある可能性があります。

近藤泰弘・月本雅幸・杉浦克己著 新訂 日本語の歴史 日本放送出版協会 2006年3月 p.42

この活用とはさらに異なると思われる用例もいくつか見つかっている。カ行変格活用「来」の已然形は右の表に挙げた「くれ」の他に「」の形があって、これが古形ではないかと考えられている。
(中略)纏かず(け)ばこそ乙乙

日本書紀 巻十一 仁徳天皇三十年の記事中の歌謡五八にある語句です(古事記では下巻 仁徳天皇 歌謡五一として同じ歌あり)。 [この行を追記 2017/11/5]

通常、"来"の活用は、奈良時代であっても"こ/き/く/くる/くれ/こ"です。(新潮国語辞典―現代語・古語― 第二版 付録 時代別活用表 動詞 奈良時代 p.13)

この記事の表1では、想定される原始日本語の活用では、カ変動詞"来"の已然形は"け"です。

同書では「来ばこそ」を「来たからこそ」としていて、さらに「この『け』を、助動詞『き』の活用形と見る考えもある。またこのことからカ変動詞『来る』と助動詞『き』の関係を考える見方もある」としています。

その部分の原文は、「鶏麼虚曽けばこそ」になっていて、"来"の文字ではありません。

日本書紀のその部分にあたると次のようになっています。

坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 日本書紀 上 日本古典文学大系 67 岩波書店 昭和49年12月  仁徳天皇30年の該当部分の頭注

マカズケバコソのケは、回想の助動詞キの已然形の古形か。動詞来(く)の已然形の古形ととも考えられる。

古語大辞典では、助動詞"き"の項目で、この文例を挙げ、助動詞"き"の已然形としていて、さらやはりに、その活用形の内の"け、き"は動詞"来"に由来し、とも書いています。

活用が特殊である。(中略)活用の複雑さは語源に由来し、カ行系列の「け」、「き」はカ変「来」から、サ行系列の「せ」、「し」、「しか」はサ変「為」から生じたものと考えられている。(攻略)

回想の助動詞"き"だとしても、その由来は動詞"来"にある可能性もあります。そうだとすると、動詞"来"の已然形が"け"であった可能性が残ります。

まだまだ分かりません。もっとも、日本語で文字が使われるようになる前のことを考えているので、その根拠は明確な形で残っているものはほとんどなく、"かすかな"事柄から推測するしかない、ということでしょう。

四段と下二段の2つの活用がある動詞の例 [追記:2017/10/19]

さく(離く・放く)…(二人の仲を)(ひき)さく、などの意味。四段他動詞と下二段他動詞で意味は同じ。現代語では五(四)段が残った。

さく(割く・裂く)…四段他動詞と下二段自動詞で意味は現代語とほぼ同じ。現代語では四段他動詞は五(四)段に、下二段は下一段になり、五(四)段の可能動詞"割ける・裂ける"と同音。

なお、古語の避く(下二段)は現代語で"避ける"(下一段)になり、上記の五(四)段動詞の可能動詞と同音。

別の意見

二段活用と四段活用は異なる言語に由来する、という説があります。

古事記考・日本語考え 縄文かあちゃんと弥生とうちゃんの日本 中堀豊 楽友出版 2012年6月

倭(やまと)縄文語というものを想定し、その特徴をまとめて、p.234~236に15項目に分けて書かれています。

その中で、活用に関する部分の一部を取り出すと、以下のようになります。

(1)二段活用と四段活用は、一見して違う言語に由来する接辞の方法である。

(2)二段活用の活用語尾には共通して乙類の音韻が使われている。したがって、二段活用される接辞変化を持っていたのは、縄文語である。一方で、四段活用とされる接辞変化を持ち込んだのは弥生語である。

この説は、日本人男性のY染色体の特徴から、日本人には二つの系統がある、ということを推定し、縄文人と弥生人の二つの人種が異なる言語を持ち込み、時間をかけて融合した、という考えかたをとっています。

これによると、二段活用を持つ縄文語に対して、(あとから)四段活用の弥生語が混入した、つまり日本語の観点からは二段活用の方が古い、ということになります。

非常に興味深い内容なのですが、どうしても分からないのは、そうだとすると、「縄文人と弥生人の言語は相当多くの共通点を持っていた」ことを想定しなければならないことです。

具体的にはその両言語において、動詞の語尾が他の語と接続する時にその語尾が変化するという活用がある、活用形にはすくなくとも終止・連体・已然形という概念が共通している、一つ一つの音は解放音である、などの共通点がないといけないことになるのではないでしょうか。

言い換えると、二つの言語は大部分は同じで、動詞の活用や単語など一部だけが異なる、ということになり、これは考えにくいと感じるのです。縄文人は狩猟民族、弥生人は稲作民族という大きな違いがあるので、前者は北方系、後者は南方系などの大きな違いがあり、言語もかなり違うのではないでしょうか。

ただし、上代特殊仮名遣いでは甲と乙の別があることは、2つの言語が融合したことを示している、ということは大いにありそうです。

2つの言語が長い時間をかけてゆっくりと融合為る場合は、かなり違った言語体系でもこなれてくるのでしょうか。

私が展開している "r化" という説も、終止・連体・已然形の活用語尾の末尾の母音がラ行変格を除く8つの活用の種類で共通である、ということを過大評価しているのではないか、という心配は感じています。


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