日本語のあれこれ日記【19】

原始日本語の手がかりを探る[10]―古語から現代語への動詞活用の変化

[2017/7/29]


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古語と現代語の活用形

前回の記事で、ひとまず仮定した原始日本語の活用が古語ではどのように変化したかを検討しました。

本記事では「古語から現代語へ」、という変化の中で動詞の活用形がどのように変化したのかを取り上げます。

古語から現代語への変化を一つの流れとしてみることができれば、その流れの向きを逆にたどれば、原始日本語の姿に近づくことができるだろう、と期待できるからです。

古語から現代語への変化の様子は、このシリーズの第5回目の記事で取り上げていますので、今回はもう少し詳しく検討することにします。

活用の種類がどのように変化したかをまとめてみます。

主に次の2冊の付録にある動詞活用表を参照しました。

現代国語例解辞典 第四版 林巨樹・松井栄一監修 小学館辞典編集部編 小学館 2006年1月

三省堂 全訳読解古語辞典 第3版 鈴木一雄・外山映次・伊藤博・小池清治編 2011年2月


表 1

古語 現代語
四段 五(四)段
ナ変
ラ変
下一段
上一段 上一段
上二段
下二段 下一段
カ変 カ変
サ変 サ変

活用形の変化[1] 四段⇒五(四)段

表 2

古語 現代語
未然形 a a,o
連用形 i i,(*)
終止形 u u
連体形 u u
已然形 e e

(*)"書く"の場合、"書き(ます)、"書いて"があり、"行く"の場合、"行き(ます)"、"行って"があります。

通常、現代語の五段活用という時には、"行こう"、"書こう"などという形を未然形に含めて、活用の段数は5であるとしています。しかしこれらは音便の結果です。たとえば"行く"については"行かむ"が"行かん"、さらに"行かう"と変化し、これを"行こう"と発音するようになったために五段化したものですから、基本的に四段活用と同等と言っていいと考えます。その意味でこれを五(四)段活用と称することがあります。

もう一つ、たとえば"書く"、"行く"の連用形では"書いて"、"行って"という形をとります。このシリーズで展開しているのは、語幹は"kak"、"ik"ですが、これらは"kaite"、"itte"で、"kak"、"ik"という語幹が変化しています。"k"が消失する(ka(k)ite)、とか、促音化する(i(k)+促音+te)など、音便によるものですから、検討から除いて考えることにします。

ここでの検討の狙いは、活用の変化の大きな流れをつかもうとするもので、活用形を細大もらさず説明することではありません。

活用形の変化[2] ナ変⇒五(四)段

表 3

古語 現代語
未然形 a a,o
連用形 i i,(*)
終止形 u u
連体形 uru u
已然形 ure e

(*)"死ぬ"の場合、"死に(ます)、"死ん(で)"があります。

ナ行変格活用は非常に興味深いところがあります。

今まで、"r音の侵入"などという表現で、古語では、原始日本語の動詞活用形と想定するものに「"r音"が加わった」という見方をしてきたのですが、ここでは古語で侵入した"r音"が現代語では撤退したように見えるのです。

この後に出てくるいろいろな活用形にも、"r音の撤退"という現象はほかにありません。

ただし、ナ行変格活用の動詞は古語では"往ぬ"、"死ぬ"の二つだけだったのが、現代語では"往ぬ"が使われなくなって、"死ぬ"の一つだけになってしまいました。古語の時に下一段活用が"蹴る"の一つだけだったために、特徴を分析しにくいということがあり、ここでも同様の状態になってしまいました。

活用形の変化[3] ラ変⇒五(四)段

表 4

古語 現代語
未然形 a a,o
連用形 i i,(*)
終止形 i u
連体形 u u
已然形 e e

(古語での終止形/連体形/已然形を"u/uru/ure"としていましたが誤りでした。"i/u/e"と修正しました。[2019/10/23])

(*)"あり"の場合、"有り(ます)、"有(って)"があります。

ラ行変格活用は終止形がイ段というところが変格だったのですが、それがウ段に変わり、完全に五(四)段に同化しました。

ラ行変格活用から五(四)段活用への変化についてはまだなにも分かりません。

ラ行変格活用で引っかかるのは、否定の助動詞"ない"を使った否定形がないことです。"書く"に対して"書かない"、"見る"に対して"見ない"のように、動詞の未然形に"ない"を付けて否定形を作ります。

"ある"の場合、否定の助動詞"ない"がつながらないのです。"あらない"という表現か有りません。このことは、下記のサ変の未然形の扱いのところでさらに検討します。

活用形の変化[4] 下一段(蹴る)⇒五(四)段

表 5

古語
(語幹はk)
現代語
(語幹はk)
現代語
(語幹はker)
未然形 e era,ero a,o
連用形 e eri,(*) i,(*)
終止形 eru eru u
連体形 eru eru u
已然形 ere ere e

(*)動詞の例は"蹴る"の一つだけで、"蹴り(ます)、"蹴(って)"があります。"蹴(って)"は"蹴り(て)"の促音便ですから問題はないでしょう。

語幹の取り方は、古語に合わせると"k"ですが、変化部分を見ると"er"がすべてに入りますから、これを語幹に含めて、上表の右端の列のように考えることもできます。その場合、カ行下一段活用がラ行五(四)段活用に変化したことになります。"蹴(って)"は"蹴り(て)"の促音便ですから語幹を"ker"としても問題はないでしょう。

"r音の侵入"が未然・連用形まで進んだ、と見ても、その形が五(四)段と同じになったという理由が分かりません。

しかも、後で触れますが、下二段活用が下一段活用に変化しているのです。下二段活用が現代語では下一段活用に変化した時、それまで下一段活用だったものがわざわざほかの活用に変化する必要があるのでしょうか。

ただし、ラ変、ナ変、下一段という活用形の動詞が(それぞれ数は一つですが)、揃って五(四)段活用に"収束"していったことは、共通の理由があった可能性があります。

類似の動詞"得"との比較

"蹴る"と同じく未然・連用形が1音の動詞には"得"があります。この二つを比べてみます。

"得" e-e-u-uru-ure ⇒ e-e-eru-eru-ere

"蹴る" e-e-eru-eru-ere ⇒ era-eri-eru-eru-ere

もう少しわかりやすいように表にしてみます。

表 6

動詞 古語 現代語
e-e-u-uru-ure
下二
e-e-eru-eru-ere
下一
蹴る e-e-eru-eru-ere
下一
era-eri-eru-eru-ere
五(四)

変化の前後関係に注目し、変化の時期を無視すれば、下二段活用は下一段活用へと変化し、下一段活用は五(四)段活用へと変化した、ととらえることができます。

この変化の方向を一般化すると、次のように書くことができます。(これが正しいというのでは有りません。可能性の一つとして挙げたまでです。)

表 7

動詞 原始日本語 古語への移行期 古語 現代語 未来語
e-e-u-u-e
原始ee正調
e-e-u-uru-ure
下二
e-e-u-uru-ure
下二
e-e-eru-eru-ere
下一
?era-eri-eru-eru-ere
五(四)
蹴る e-e-u-u-e
原始ee正調
e-e-u-uru-ure
下二
e-e-eru-eru-ere
下一
era-eri-eru-eru-ere
五(四)
era-eri-eru-eru-ere
五(四)

確認できるのは古語から現代語への変化で、一つは「下二から下一へ」、もう一つは「下一から五(四)へ」という変化です。これを一連の変化運動と仮定すれば、"下二⇒下一⇒五(四)"です。

したがって、"得"は「未来では五(四)段活用に変化し」、また"蹴る"については、「下一段活用の前に下二段活用の時代があった」と予想することができます。(予想と言うよりも空想でしょうか)

原始ee正調というのはそもそも架空のもので、さらに[下二段活用]から[下一段活用]、また[下一段活用]から[五(四)段活用]という変化のパターンは、"得"と"蹴る"という二つの動詞をサンプリングしたもので、それが一直線上に連続して起きる、ということはなんの保証もありません。

ただし、このように書くと、"得る"という動詞は未来において五(四)段活用に変化する、という見通し(予言)を言うことになります。予言が当たれば、そこに述べられたことは真実だと認められる可能性が高まります。

活用形の変化[5] 上二段⇒上一段

上二段活用の動詞は上一段活用に変りました。

上一段活用の動詞は変化しませんでしたので、上二段活用の動詞が上一段活用に吸収合併されたものと考えていいでしょう。

次の表8は上二段活用の変化の様子です。

表 8

古語 現代語
未然形 i i
連用形 i i
終止形 u iru
連体形 uru iru
已然形 ure ire

終止・連体・已然形が"u-uru-ure"という活用が上二段活用、下二段活用からなくなり、"iru-iru-ire"、"eru-eru-ere"になりました。

終止形では、変化部分が"u"というタイプが上二段活用、下二段活用からなくなりました。これは次に出てくるカ変・サ変でも終止形は"く・す"から"来る・する"に変わったのと同様の変化です。

"r音の進出"が連体・已然止まりあったものが終止形まで拡大した、と考えることができます。同時に未然・連用形が上二段では"i-i"、下二段では"e-e"という特徴をより貫徹させるために、すべての活用形で"i始まり"、"e始まり"に統一する、という動きが伴っていたのだろうと考えられます。それによって、上一段活用と下一段活用は五(四)段活用との距離を広げ、独立性が高まりました。

連体・已然形で、"uru-ure"という変化部分が"iru-ire"、"eru-ere"に変わったことは、カ変・サ変でともに"uru-ure"のままで変化がなかったのと好対照です。結果的には、連体・已然形が"uru-ure"というパターンはカ変・サ変にだけ残りました。

活用形の変化[6] 下二段⇒下一段

表 9

古語 現代語
未然形 e e
連用形 e e
終止形 u eru
連体形 uru eru
已然形 ure ere

変化の様子は上記の"上二段⇒上一段"のところで触れていますので、ここでは省略します。

活用形の変化[7] カ変・サ変

表 10 カ変

古語 現代語
未然形 o o
連用形 i i
終止形 u uru
連体形 uru uru
已然形 ure ure

表 11 サ変

古語 現代語
未然形 e i,a,e
連用形 i i
終止形 u uru
連体形 uru uru
已然形 ure ure

カ変・サ変動詞は、終止形が上記のように、"ku・su"から"kuru・suru"と変化しました。連体・已然形が"uru-ure"のタイプだったので、これで終止・連体・已然形が"uru-uru-ure"というかたちはカ変・サ変動詞だけになりました。

また終止形に関しては、"r音の侵入"がないのは五(四)段活用だけになりました。

五(四)段活用だけが"r音の侵入"の圧力に耐えた、というところでしょう。

サ変の未然形

サ変における変化の中で、未然形が"i,e,a"つまり"し、せ、さ"の3種類になったことは注目されるべきことでしょう。

否定では"し(ナイ)または"せ(ず)"、受身・自発・尊敬・可能の時は"さ(レル)"、同じく使役の時は"さ(セル)"。私は、"せ(ず)"は文語の表現が残ったというもので、将来は使われなくなる方向にあると思います。

"さ(レル)"、"さ(セル)"はどうでしょうか。文語では"せず、せらる、せさす"と同じ"せ"だったものが、現代語では"さ(レル)"、"さ(セル)"のように"さ"に変化しました。

未然形が"し、さ"の二つに分かれたのですが、今後はどちらかに統一されるのでしょうか。

連用形と同じというなら"し(ない)"でしょうか。"し(レル)"、"し(セル)"は難しいですね。では"さ"はどうでしょうか。"さ(ナイ)"も難しいですね。"書く"では"書かず"が"書かない"、"見る"は"見ず"が"見ない"と、"ず"を"ない"に置き換えている例が多いのです。カ変動詞も"来(こ)ず"が"来(こ)ない"と単純な置き換えですんでいます。サ変動詞は違いますね。

"ず"を"ない"に置き換えているのがほとんどで有り、そうでないものは、サ変動詞と、下二段活用から五(四)段活用に変化した"蹴る"だけが見つかりました。"蹴る"は下二段活用から五(四)段活用に変化しましたので、"蹴(ず)"が"蹴ら(ない)"に変わりました。

活用の種類が変わったので当然と言えば当然ですが、サ変は、というと、"古語のサ行変格活用"から"現代語のサ行変格活用"へと活用の種類が変わった、と考えるべきなのですね。略称として"古語のサ行変格活用"を"サ変a"、"現代語のサ行変格活用"を"サ変m"とすると、活用の種類は「サ変a"から"サ変m"に変化した」、というのが正確な言い方です。

否定の助動詞"ない"

否定の意味の"ない"について調べていると、"有る"の否定形は"有らない"ではない、という議論が見つかりました。古語なら"有ら(ず)"ですが、現代語にすると対応する言葉はないとされます。単に"ない"という言い方をするのであって、"有らない"とは言わない。動詞"有り"は唯一"ない"という言葉が付かないのです。

動詞"ある"の反対語は形容詞の"ない"であるとよく言われます。これと否定の助動詞"ない"の関係がよく分かりません。古語で"あり"の否定は"あらず"でしたが、現代語では"ある"の否定は"ある"の活用形と結びつく表現がなくなりました。

サ変において、古語では"す"の否定は"せず"で、これが現代語では"しない"に変わった。そして"せず"という表現も継続して使われています。

まとめ

話が発散して収束する気配がありませんね。

今の段階でまとめることは不可能です。

考えてみると、サ変、ラ変はともに、まさに"変格"ですね。その点では同じ変格でも、ナ変、カ変は古語から現代語への変化という点では波風をあまり立てず、規則的に変化しています。

変化の方向

いろいろと疑問は残っているのですが、古語から現代語への変化の方向についてひとつ考えてみたいと思います。

なぜ五(四)段活用に向かって変化していく傾向があるのかということです。

根本の活用が四段活用で、これが根源的な活用形だった、という可能性を考えてみたいと思います。

完全な"机上の空論"、妄想というレベルです。

(1)四段活用[a-i-u-u-e]が出発点で、これをai正調と呼ぶ。動詞が増えるにつれて、耳で聞いて直感的に、瞬間的に違いが聞き分けられるように、少しずつ変調していき、ii正調とかee正調とかが分離していった。

(2)その次に"r音の侵入"という外部圧力(原因は異民族との接触・融合など)を受け、変調がさらに続き、上一段活用と上二段活用の分離、下一段活用と下二段活用の分離、などが生じた。

(3)言語の基本構造の変化を引き起こすような外部圧力は収まり、"熟成の時期"が来て、混じりあった言語構造(ここでは動詞の活用形のみを取り上げている)は、よりスムースな形へとゆるやかに自浄作用的に変化していった。それが(1)「上一段活用と上二段活用」や「下一段活用と下二段活用」の二重構造を解消させ、また、(2)すでにいろいろな活用形が出てきて、「動詞が増えるにつれて、"変調"が生じ」という自主的な変革エネルギーは薄まり、逆に"原点(五(四)段活用)回帰"のエネルギーが優勢になる、という傾向を生んだ

(4)"原点回帰"といっても、すでに"r音の侵入"は確立しており、"r音の侵入"を受け入れた上で総合的な再構成が進んだ。

(5)この"熟成の時期"においては、単語の面では大きな変化が有り、古代から中古にかけては大量の漢語(中国語)が流入し、また単語だけではなく漢文の利用も盛んになった。近代においては大量の欧米語が流入した。

大量の外国語由来の単語が入ってくると、翻訳している時間の猶予がなく、音をそのまま受け入れた。その結果、"日本語"の中には、おびただしい数の漢語と大量の欧米語が元の音のまま入り込んだ(音読みとしての漢語の流入や欧米語のカナカナ表記での流入)。

ただし、もともと日本語になかった音は日本語の音に置き換えられたので、原音とは少し異なる音として日本語に定着した。そのため、漢語においては多数の同音異義語の発生、あるいは音だけでは意味の見当がつかない欧米語の増加、などの問題が生じた。(単語の流入は動詞の活用とは直接の関係はないが、日本語として見れば大きな変化なので書いておくものである)


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