気まぐれ日記 7


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[2012/5/31] 笠郎女(かさのいらつめ)の歌から山川登美子の歌へ


調べ物をしているときに、偶然、次の歌が目に入りました。

相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくがごと  [万葉集四 608]

(あいおもはぬひとをおもふはおほでらのがきのしりへにぬかづくがごと)

中西進 万葉集 全訳注原文付 講談社文庫 講談社


なんというか、すごく新鮮な感じがします。

和歌は助動詞、助詞、動詞などで終わることが多い中で、体言止めということがあるのかなと思いました。

日本国語大辞典で「体言止め」の項を見てみると、例文がおもしろい。

*国文学史十講〔1899〕〈芳賀矢一〉六「いはゆる体言どめといふ句が大変多い。私が計算した所では、古今集全体で二十首ばかりしかないのに、新古今集には春の部だけで、其三倍もあります」

”たいげん‐どめ【体言止】”, 日本国語大辞典, ジャパンナレッジ (オンラインデータベース), 入手先<http://yw.jkn21.com>, (参照 2012-05-31)


古い時代には体言止めは少ないのですね。現代の短歌ではずいぶん多いような気がします。

さて、万葉集ですが、587番歌に「笠郎女が大伴家持に送った歌24首」という詞書があります。

587~610番歌になり、上の歌もそのひとつです。

そのなかの600番歌はこうなっています。

伊勢の海の磯もとどろに寄する波恐(かしこ)き人に恋ひわたるかも


実朝の有名な歌があります。

大海の磯もとどろに寄する波われて砕けてさけて散るかも

実朝=万葉調、というのは昔習った記憶がありますが、まさにこれですね。

もっとも、この歌は叙景に徹していますが、それだけ?と拍子抜けする感があります。

「われて砕けてさけて散る」が確かに波の動きを良く捕らえているかもしれませんが、最も躍動感を感じるのは、「われる」前の波が盛り上がる段階です。

これは、海を目の前にして育った私が、飽きるほど波を見たうえでの実感です。

こわれるところまでいったら、後はお決まりのコースをたどるだけ。

波が盛り上がるときに、それがその後どのような動きになるのか、大きく盛り上がるのか、盛り上がり損ねて肩透かしを食うのか、それを想像する段階が一番面白い。


蛇足ですが、実朝の歌の続編が俳句として作られています。詳しくはこわれたる


とりあえず、笠郎女について調べようと、手元にある国語便覧を見ました。

新版 新訂総合国語便覧  第一学習社 改訂34版 2005年1月10日

おそらく、私の娘が高校一年の時の国語の教科で使ったものでしょう。

564ページに、古文、現代文、漢文の内容がぎっしりと詰め込まれていて、いろいろと参考になります。

その中に、「万葉の歌人」というページがあり、14人の歌人について、それぞれ1首を選んで乗せています。

笠郎女の名前があり、選ばれた歌がまさにこの歌でした。

つまり、代表的な万葉歌人であり、その代表歌のひとつがこの歌である、ということでした。

和歌を知っている人にとっては、こんなことは常識なんでしょうね。

私にとっては、偶然の発見であり、なんとなくうれしい気持ちです。

もしかすると、高校一年の古文の授業で、この歌を目にしていたかもしれませんが、45年も昔のことなので見当がつきません。

なお、読みがちょっと違っています。

相念はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づくごとし

この結句の部分は、原文は「額衝如」で、どちらにも読めますが、「ごとし」ではありきたりで感動がさめます。また、連体止めでなくなります。ここは「がごと」のほうが断然いいように思います。

追記 [2015/4/12]
最後の言葉はほとんどの本で「ごとし」となっています。珍しく、「がごと」としてある例を見つけました。
  大岡信 日本詩歌読本 1999年7月14日 三修社発行
読みや漢字表記が何に基づいているかについては書かれていませんでした。


ところで、この歌の調子、この情熱の強さは、どこかで、以前に感じたような気がします。

山川登美子の名前が浮かんできました。

現代の詩歌 29 短歌集 中央公論社 新訂3版 1989年1月25日


わが息を芙蓉の風にたとへますな十三絃をひと息に切る

鴨川はそれにふさはずこの夕花なげていらん淵はいづこぞ

岩にあてて小百合の花を打ち砕き此世かくぞと知りそめし今日


琴の絃を一気に切る、とか、ゆりの花を岩に打ちつける、とか、身を投げる深い淵を探し求める、とか。

絶望の果ての激情を生々しく描写するこのような歌は、めったにありません。


その一方、これらと対極的な歌もあります。


手づくりのいちごよ君にふくませむわがさす紅の色に似たれば

とことはに覚むなと蝶のささやきし花野の夢のなつかしきかな


何なのでしょう、この落差は。


山川登美子は結核により満29才でこの世を去ります。死を覚悟してからの歌はまた別の調子になります。


わが死なむ日にも斯く降れ京の山しら雪たかし黒谷の塔

しづかなる病の床にいつはらぬ我ならぬものを神と知るかな

後世は猶今生だにも願はざるわがふところにさくら来て散る


人生を振り返り、死後に思いをはせる二首。


矢のごとく地獄におつる躓(つまづ)きの石とも知らず拾い見しかな

わが柩(ひつぎ)まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく



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