[2017/6/9]
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券はありや 落窪物語 第三
以前に、落窪物語を読んだことがあります。
非常に印象的な文章がありました。
「券はありや」
藤井貞和・稲賀敬二校注 落窪物語 住吉物語 新日本古典文学大系 18 岩波書店 1989年5月19日発行
ある女性(女君)の母親が亡くなり、父親は後添えをもらったところ、女君はいわゆる継子いじめに遭い、後妻の実子と差別されて冷遇されていたところ、その気の毒な境遇に同情した男(男君)に救い出され、やがていじめの張本人である後妻、さらには父も含むその一家に過剰なまでの復讐をし、最後にはその一家を保護する、というストーリーです。
それで、「券はありや」ですが、女君の父親が、もともと前妻が所有していた屋敷を一世一代の思いで全財産をつぎ込んで改築して立派な屋敷にし、もうじき引っ越しする、という事を女君に仕えてきた"あこき"に聞かされ、男君が発する言葉です。
「券」とは、所有権を証明する証書です。
「券はありや」という問いかけに、"あこき"は「いとたしかにて候」と答えます。「確かにございます」ということでしょう。
何が印象的かと言うと、屋敷(土地も含まれているでしょう)の所有権を証明する証書が、母から娘へと渡された、ということです。母にとって夫である人物、つまり、女君の父親はそのことを知らなかった様に書かれています。
屋敷の所有権を示す証書は、女君の母の観点で言うと、夫には秘密にして、その娘に渡した、というわけです。
女君の母は、その母が「趣向を凝らしてお住みになった」もので、そなたも伝領して守っていきなさい、と繰り返し言い聞かせていました、と"あこき"は男君に話します。
女君の直系の親族としては、父の他には女君の母の妹が出てくるばかりですから、女君の母には他には子はいなかったようです。
つまり、女君の母は、(おそらく)自分の母から伝領した屋敷を、唯一の子である娘に伝領させ、夫にさえそれに関わらせなかったのです。
財産が女から女(母から娘)へと相続されていくのです。
枕草子に落窪物語について言及しているところがあることから、落窪物語の成立時期は10世紀後半とされています。
このころは婿入り婚ですから(上流階級の人の場合ですが)、女性の生家が裕福であるか、権力があるか、(通常は同じことでしょうが)によって、未婚の女性がいい結婚相手と巡り合うことができるかが決まります。言い方を変えると、女性には実家の実力が背景にあるわけです。実家の財産は娘へと引き継がれていくのです。
息子はどうなるのかというと、有力な家の娘のもとに婿入りする、というわけです。
このことを明確に述べている記事をネットで見つけました。
「(平安時代辺りから)女性は政治の場である「朝廷」ではなく、「家」という会社を支える副社長や専務として腕を振るうようになったのです。鎌倉初期までは、夫が亡くなると財産はすべて残された妻が一括相続していました」
at home 教授対談シリーズ こだわりアカデミー 歴史平安女性に興味を持ってみると、『新しい』歴史が見えてきます。埼玉学園大学人間学部教授 服藤早苗
再び、券はありや
券とは所有権を証明する証書です。つまり、そのような証書で財産が保障される仕組みができていた、ということになります。
不動産の所有権に関する台帳のシステムができていた、という所までいっていたかどうかは分りません。然し、証書によって所有権が認められるという社会だったのですね。
ネットで探してみると、次の様な記事が見つかりました。
古文書は平安時代中期の寛弘2年(1005年)7月29日付。中級貴族の藤原為賢が、山城国下紀伊郡に所有する土地の公験(証文)を火災で焼失したため、再発行するよう山城国の国衙に求めた内容。
Internet Museum ニュース 1000年前、平安中期の古文書が初公開 [新潟]
証書が火事でなくなってしまったので、役所に再発行してもらう、ということです。山城国の国衙といいますから、今の県庁ということですね。