気まぐれ日記 32 紫式部日記の「女官まゐれ」、「蔵人まゐれ」について


[2016/3/18]

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紫式部日記

以前に、紫式部日記を読んだことがあります。

そのなかで、今一つよくわからないところがありました。

まだ夜深きほどの月さしくもり、木の下をぐらきに、「御格子まゐりなばや」「女官はいまださぶらはじ」「蔵人まゐれ」などいひしろふ程に、

池田亀鑑・秋山虔校注 紫式部日記 岩波文庫 

脚注に、"御格子"については「内側に板をあてた蔀(シトミ)格子」、また、「まゐる」は格子を上げること、とあります。

夜なので蔀は下がっているので、それを上げたい、といっているところです。

なにが分からないかと言うと、蔀を上げたいと思っているが、「女官」がいない、それなら「蔵人」にやらせよう、などど相談しているのです。蔀をあげたいなら、さっさと自分で上げればいいのに、というのが、私が感じたことなのでした。

私は、この時代の日記文学としては、和泉式部日記に注目して読んできましたが、紫式部日記は特に心ひかれることはなかったので、上記の部分は気にはなったのですが、そのままにしていました。

日本の建築史

私のサイトの写真のページにすでにいくつか公開していますが、最近、神社の写真を撮っています。重要文化財指定の神社を撮影対象にしているので、歴史の古い神社ということになります。そこで、日本の建築史を学ぶ必要が出てきました。

そのような中で、最近、次の本を見つけました。

宮元健次監修 神社・寺院・茶室・民家 違いがわかる! 日本の建築 2010年9月 PHP研究所発行

そのなかに、「調節がしづらかった寝殿造の窓」という項目があります(同書 116ページ)。蔀戸(しとみど)について、このような解説を載せていたのです。

蔀戸は開放すると、室内に日光や風を取り入れることができ、窓のなかった当時としては画期的な建具でした。しかし、板状で重たく開け閉めが面倒で、・・・・

なるほど、蔀戸は重いのですね。なぜ重いのかと言うと、上記のように、「内側に板をあてた蔀格子」だからです。単なる格子なら軽いでしょうが、それでは夜なら夜気が入って寒いだろうし、天気がくずれれば雨が吹き込んできます。板を張って室内を保護することが必要なのです。

だから、「女官にやらせよう」、とか「蔵人にやらせよう」ということになるのですね。

辞書による格子

古語大辞典の「格子(かうし)」の項には挿絵があり、それを見ると、大人が両手を広げた幅よりも広いものとして格子が描かれています。たいていの辞書には、格子について、「柱と柱の間にかける」、ということが書かれていますが、そうなると、確かに幅が広くなります。今まで私は、「柱と柱の間にかける」と言っても、一枚もの、とは思いませんでした。このような幅の広いものに板が打ちつけられていれば確かに重いでしょう。

さらに、格子を上げる、ということのためには格子を上げておいて、上から釣り金具を掛ける必要があります。両手で届かないほどの幅があるなら、少なくても二人で作業する必要があります。

「ちょっと手を伸ばして、金具をカチッとかける」という程度のイメージを持っていたので、すでに書いたように「さっさと自分で上げればいいのに」と思っていたのですが、そんなに簡単なことではないのでした。

解説本

なお、今回書いたことは、紫式部日記の解説本には書かれているのかもしれません。紫式部日記にはあまり興味がなかったので、調べていませんでした。

・・・・

と思っていたところ、図書館に行く機会ができましたので、調べてきました。と言っても2冊だけです。

藤岡忠美 中野幸一 犬養廉 石井文夫校注・訳 和泉式部日記 紫式部日記 更級日記 讃岐典侍日記 日本古典文学全集 18 昭和46年6月初版 昭和60年2月第16刷 小学館発行

萩谷朴著 日本古典評釈 全注釈叢書 紫式部日記全注釈 上巻 昭和46年11月 角川書店発行

結論から言うと、格子のサイズ感や重量感については言及がありませんでした。そのようなことは言うまでもない、ということなのでしょうか。

ここでは、「まゐる」の意味のとりかたが違っているのが目につきました。前者では"格子を下ろす"、後者は"格子を上げる"と正反対なのです。前者には特別な解説はありませんが、後者には詳しい解説があります

「辰の一刻に上げ、戌の一刻に下げる」という侍中群要第一の記述によって、「通常はすでに前夜の七時に下げてあった格子を定刻の午前七時より早く上げさせようとしたことが分かる」

としてあります。また、「いままでさぶろはじ」に対する解説として、次の様に書かれています。

宮廷の生活はなかなか夜ふかしすることが多い、従って、戌一刻の下格子の後といえども、雑多なご用があるので、女嬬たちも相当遅くまで殿上に詰めているわけである。しかし、後夜(午前三時)までは無理というものである。『いままでさぶらはじ』とはこのことを言ったのである・

サイズ感や重量感

このように、リアルなサイズや重量の感覚はなかなか分かりません。以前に、牛車の車輪について調べた経緯を9回にわたって書いていますが、そこでもサイズは重要なことでした。

感覚的なリアルさ、というものが感じとれれば、本当に理解した、と自信を持って言えるのでしょうね。

参照した資料

本文に書いた以外では、古語大辞典は下記の「参考文献について」のリンク先を参照願います。

追記 [2016/3/24]

上記で引用した

宮元健次監修 神社・寺院・茶室・民家 違いがわかる! 日本の建築 2010年9月 PHP研究所発行

は図書館で見つけたのですが、手元に置いてもいいかなと思ってアマゾンを見たところ、中古本のみで、販売価格が、5,000円で1冊、15,000近辺で6冊ありました。2010年発行の本で定価は 1,300円 なのですが、こうなると貴重な本なのですね。もしかしてヤフオクでは、と思いましたが、見つかりませんでした。



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