気まぐれ日記 18
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[2014/8/22] 枕草子 第32段 網代ははしらせたる その4
前回の記事で次の様に書きました。
車軸、軸受けは堅い木材を用い、なにがしかの潤滑剤を使うことはあったかもしれない、というのが私の見当です
なにかの潤滑剤を使う技術があれば、時速15Kmくらいまでは可能でしょう。ロウとか松ヤ二などはあってもおかしくはないと感じます
油について調べてみました。
牛車に使われる油
枕草子 第26段 にくきもの
・・・・きしめく車に乗りてありく者。・・・・
新編日本古典文学全集 (*1)
この「きしめく」についての頭注に以下と書かれています。
「きしきし」「ぎしぎし」と音を立てること。手入れを怠って油の切れた状態などを言う。
この油とはどこの部分か、については書かれていませんが、車を走らせると音が出る、といえば、第一に車輪の摺動部、つまり車軸と車輪の軸受け部(轂(こしき)の中央の穴の部分)になるでしょう。ただし、箱の部分から音が出る、と考えられないこともないですね。
文献上の車の油
倭名類聚抄
輠 唐韻云輠 [胡果反上聲之重又音果漢語抄云車之阿不良都乃] 車脂角也。
倭名類聚抄 (*2)
輠(車偏に果)という文字に対して、「漢語抄」から"車之阿不良都乃"を引用し、"車脂角"であるとしています。「漢語抄」とは何なのかわかりませんが、"阿不良"は"あぶら"と考えてよさそうです。"車之阿不良都乃"とは"車の油(あぶら)"の"××"でしょうか。あるいは"車の油××"でしょうか。いずれにしても、車に使われる油があったようです。
どのような油でしょうか。車輪の摺動部にさす潤滑油とか、あるいは雨に対する防水加工に使うのでしょうか。思い当るのはそれくらいです。
古事類苑(*3)にも車の情報が「車」の項目に載っています。倭名類聚抄も当然収録されていますが、さらに「箋注倭名類聚抄」も収録されていることがあります。これば、「倭名類聚抄」に注釈を加えたもののようです。
「輠」については4行にわたって記述があり、「按車脂角不詳」で始まります。「按ズルニ不詳」ですから「車脂角とはよくわからん」、ということですね。
さらに続きます。「玉篇、輠車脂轂、孫氏蓋本之、角疑轂字」。文章を正確に読むことができないのですが、想像すると、「玉篇に"輠車脂轂"とある、"角"とは"轂"の字ではないかと疑われる」、ということではないでしょうか。
玉篇とは6世紀に編集された中国の漢字字典で、「近代デジタルライブラリー」にほんの一部ですが採録されています。本当に偶然でしょうが、「車偏」の漢字の部分がありました。玉篇. 第18 後分のところです。そのコマ番号18のところに"輠"の字があります。記述は楷書で、文字の多くは想像できますが、意味をつかむことが私にはできません。
字面を追っていくと、「野王案輠謂××××之也字書輠轉也・・・・為車釭盛膏・・・・」とあります。野王案とはこの字書の編者「顧野王」のコメントである事を示しているそうです。「輠轉也は「輠トハ轉ナリ」でしょうか。轉は転であり、ころがるという意味です。これは分りません。
「為車釭盛膏」は「車の釭(かりも)に膏(あぶら)を盛る」でしょうか。多くの漢和辞典で「車釭(しゃこう)」という単語を載せています。
釭ですが、旺文社の漢字典(*5)では「車のこしきの中に入れて、すりへるのを防ぐ鉄管」、漢辞海(*5)では「車の轂(こしき)の中にあって車軸を受ける鉄枠」。ここでは「車軸を受ける」が重要です。これらの情報から考えると、車輪の中央の轂に車軸を通す穴があるのだが、そこに釭と呼ぶ鉄管があって、木製の車軸はその釭の中に差し込まれ、その車軸の周囲を車輪が回転する、という構造が浮かび上がってきます。
古語大辞典(*4)ではこの釭について以下のように説明しています。
かりも 【轄】 車輪の轂(こしき=木製の筒(どう))が車軸と摩擦して摩損するのを防ぐため、轂の穴(そこに車軸が当たる)や口の周囲に当てる鉄製の筒。
どんびしゃですね。そして鉄製です。車輪の回転により摺動部が摩耗します。車輪が摩耗するのと車軸が摩耗するのとではどちらがいいか。断然車軸が摩耗した方がいいです。車軸は構造が単純ですから製造も比較的簡単です。車輪の轂が摩耗すると複雑な構造物である車輪を作り直すことになりおおごとです。
ただし、【轄】という漢字表記はおかしいです。これは"くさび"の文字です。轄(くさび)は車軸の端に差し込む金具で、車輪が軸から抜けないようにします。また牛車を走らせないときには轄を抜いて車輪をとりはずし、牛車全体を小さくして保管したりします。ただし、漢辞海の"轄"の項には、意味の説明文の次に、"かりも。くさび"とあります。"かりも"と"くさび"が混同される例がどこかにあるのでしょうか。
「輠」を漢和辞典(*5)で探すと、漢字源だけに載っていて、「車軸にさす油を入れる円形の器」とあります。「車軸(の摺動部分)に油をさす」のですね。
釭については倭名類聚抄に「轂口鐡也」と書いてあることは知っていましたが、本当に鉄がつかわれていたのだろうか、どのような形なのか、などという疑問がわき、簡単に納得することができなかったのです。それでいろいろ調べて、「油をさす」ということが出てきたことから、間違いなく車輪の中央部には車軸を受ける部分に鉄の管のようなものなものがある、ということが納得できました。
車の油とは結局何か
私が前の記事で、「車軸と軸受けは木製だったのではないか」、と書いたのですが、これは正しくはなく、当時すでに鉄製の部品が使われて、車輪の中央の轂に鉄管がはめ込まれていて、木製の車軸の周りを回転する、という構造になっていたと考えるのが妥当です。したがって、釭の内側に潤滑剤としてなにかの油をさす、ということも当然のことになってきます。そしてこの記事の先頭に書いた「手入れを怠って油の切れた状態」ということが起こりうることである、ということに納得がいきます。
牛車は早く走ることができるのか
軸受け部分がこのように金属部品を含む構造であり、そこに潤滑剤を使用すれば、回転するときの摺動部分の摩擦の問題はかなり軽減でき、牛車をある程度早く走らせることも可能でしょう。今回いろいろ調べてきたきっかけは、枕草子の第32段にある「網代は走らせたる」という文について、「牛車は早く走ることは本当にできるのだろうか」、と疑問を持ったことでした。ここにきて、「走ることはできる」という結論になりました。もしかすると牛車を走らせるときの速度の限界は、その構造からくるのではなく、牛飼いが牛に追いつける速度、ということで決まるのかもしれません。
【引用文献】
(*1) 新編日本古典文学全集 18 松尾聰・永井和子校注・訳 小学館 1997年11月20日 発行
(*2) 中田祝夫解説 倭名類聚抄 元和三年古活字版二十巻本 勉誠社 1996年3月31日 第四刷
(*3) 近代デジタルライブラリー 古事類苑 器用部10 車上
近代デジタルライブラリー 古事類苑 器用部11 車下
(*4) 中田祝夫・和田利政・北原保雄 古語大辞典 小学館 1983年12月10日 第一版
(*5)そのほか、漢和辞典として次の3点を参照しました。
漢字源 改訂第四版 藤堂明保・松本昭・竹田晃・加納喜光編 学習研究社 2007年3月
全訳 漢辞海 戸川芳郎監修 佐藤進・濱口富士雄編 三省堂 2002年
旺文社 漢字典[第二版] 小和田顕・遠藤哲夫・伊藤倫厚・宇野茂彦・大島晃編 旺文社 2008年