気まぐれ日記 17


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[2014/8/9] 枕草子 第32段 網代ははしらせたる その3

網代車は走ることができるか、ということについて、調査・検討した中間結果です。

牛車の大きさ

車輪の大きさですが、近くにいる随身、従者たちの背丈と比べると、ほぼ同じくらいに描かれていることが多いようです。以前に、気まぐれ日記 9 で、牛車の車輪の径は100~150cm と予想したのですが、150cmとしてよさそうです。

車軸はまだ分りません。そもそも車軸の構造が分かりません。牛車の図を見ると、車軸が車輪の外側に突き出ている(ように見える)部分が、円筒を数段重ねたように描かれています。現在ネットで見られるものは軸部分は金属がつかわれています。昔の形式を絶対的に守るという必要性がなければ、機械的強度や耐久性の点で金属を使うのが当然で、仕方がありません。

当時はどうだったのか、と考えてみると、今のところ、車軸を固定して車輪が車軸の周りを回転する、という構造で、車軸と軸受けは木製だったのではないかと私は考えています。こうすると、いわゆる内輪差の問題がなくなり、狭いところで向きを変えることも容易です。これとは別の構造としては、二つの車輪と車軸を一体化し、車軸を軸受けで支える、という構造が考えられます。鉄道の車輪はこの構造ですが、一体となる構造として随分大きなものとなり、また狭いところで向きを変える場合に不利です。

材質は、車軸と軸受けがともに木製であったと考えてます。車軸と軸受けが金属製であれば、機械的強度や耐久性の点で問題がなく、そもそもここで議論する必要はありません。

車軸、軸受けは堅い木材を用い、なにがしかの潤滑剤を使うことはあったかもしれない、というのが私の見当です。

では、車輪と車軸がこすれる部分の回転部分の径はどの程度であったかのでしょうか。どうも、牛車の例が見つからないのですが、祇園祭りなどに使われる鉾の例をネットでいくつか見ることができ、これらは20cm位に感じられました。祭りで使われる鉾はとても重いもので、牛車とは比べ物になりません。それを考え、また木材の強度を考えると、実は本当のあてずっぽうですが、10cmから20cmというところで、およそ15cmくらいに思われます。

径が20cmではイメージとして太すぎ(大体は大人4人乗りが普通なので)、10cmではぎりぎり、という感じがするのです。

車輪の回転の速度

次に、牛車が早く走る場合に車輪がどのくらい高速に回転するか、ということを検討します。

現代において、ジョギングで時速10Km程度、自転車がすいすい走るときは時速15Kmくらい、というところでしょう。従者たちが走って牛車をおいかけるという状態は、ここでいう時速10~15Kmくらいを考えればよさそうです。

では簡単に計算してみます。

時速10Kmの時、秒速は10,000(m)/3600(s)=2.78/sですから、車輪の回転速度は、2.78/(1.5*3.14)=0.59。1秒間に0.59回です。1秒間に半回転強というところです。
時速15Kmの時、秒速は15,000(m)/3600(s)=4.17/sですから、車輪の回転速度は、4.17/(1.5*3.14)=0.88。1秒間に0.88回です。1秒間に1回転弱です。

車軸の部分で考えると、1秒間に半回転または1回転という速度で、それほど速いものではありませんね。

直径15cmの車軸周りの速度は、時速10Kmの時で 0.59*0.15*3.14=0.28(m/s)、時速15Kmの時で 0.88*0.15*3.14=0.41(m/s)。これが、車軸と軸受けの間での"滑り"の速度です。車軸の直径が10cmであれば、それぞれ、0.19(m/s)、0.28(m/s)です。このように車軸の径が小さいほど、強度の点では問題が大きくなりますが、車軸と軸受けの間の摩擦の問題は小さくなります。

牛車は走れるか

車輪の軸受けのところの回転速度は私が最初に想像したよりは小さく、時速10Km程度であれば問題ないような気がしてきました。なにかの潤滑剤を使う技術があれば、時速15Kmくらいまでは可能でしょう。ロウとか松ヤ二などはあってもおかしくはないと感じます。

つまり、「牛車は人が走るくらいの速度であれば走れる」、という結論です。

また、それ以上の速度は無用です。なぜなら、牛を制御する牛飼いが並んで走れなければ意味がありませんから。

車軸周りの回転速度が小さいのは、車輪の直径が大きいからです。牛車の車輪が大きい理由は、車軸と軸受けが木製で、回転数が上がると摩擦熱が大きくなり問題だから、ということもあったのかもしれません。

ただし、車軸と軸受けが単純に木製であるのかどうかは、調べているのですがまだ分かりません。基本的には木製であるにしても、金属の板を車軸と軸受けの間に挟む、というような構造になっていたのかもしれません。現在残っている牛車は、ネットで見る限り、回転軸と軸受けは金属が使われている例が多いのですが、平安時代のものがそっくり残っていることはないでしょう。平安時代の牛車はどの様な構造だったのでしょうか。製造法についての記録が残って入ればよいのですが。



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