気まぐれ日記 12


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[2014/7/21] 後拾遺集568 とゞめおきて誰をあわれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり (和泉式部)

ある日、宅配便の不在通知が郵便受けに入っていました。このところ用事がたてこんでいるので、時間指定で再配達してもらうより、自分で営業所に取りに行った方がよさそうだと思い、電話でそのことを伝えました。

翌日、営業所に行き荷物を受け取ると、箱に「止置き」というラベルがはってありました。すぐに題記の歌のイメージを思い浮かべてしまい、帰りの車の中でも心が晴れませんでした。もちろん、この時は具体的な歌の言葉をスラスラと思い出したのではありません。「子はまさるらん子はまさりける」というフレーズで、「亡くなった娘は自分の子が一番心残りだろう、まさに私がそうであるのだから」、という内容を思い出しただけです。帰宅してネットで検索したりして歌の正しい言葉を探し当てたのでした。

小式部内侍なくなりて、孫(むまご)どもの侍りけるを見てよみ侍りける

後拾遺集568 とゞめおきて誰をあわれと思ふらん子はまさるらん子はまさりけり (和泉式部集485 (*1))

歌の表記は「後拾遺和歌集」 新日本文学大系 岩波書店 による。

和泉式部の歌によく見られる「繰り返し」の表現により、底の知れない悲しさが直接的に伝わってきます。わが子のことが最も心残り、あるいはむしろ、わが子のことだけが心残り、というように感じます。

「まさる」とは、普通は、比較してどちらが上か、ということでしょうが、この歌では、全てに対して「まさる」、「上回っている」、従って、「心はそれだけで埋め尽くされている」、といった印象です。

「まさる」が比較してのことにとらわれると、誰との比較か、ということが気になり、そうなると、「小式部内侍にとっては親である私(和泉式部)よりも小式部内侍の子」、ということにつながる。その場合、「和泉式部にとって『子はまさりけり』」であり、「小式部内侍にとっても『子はまさるらん』」とその気持ちを推し量ることになりますが、それでは「和泉式部にとって『子はまさりけり』」とは誰との比較か、ということにまでつながっていく。

このようなことを考えていると、この歌の持つストレートな悲しみが少しずつ薄まってしまうのです。だから、「まさる」を二つの比較ととるのではなく、「絶対的に抜きんでている」と考えたいのです。

小式部内侍が死んだのは過去のことで、いま号泣する、というものではないのですが、孫の姿を前にして子を失った喪失感というものがひしひしと迫ってきます。

このような場面で私は一つのイメージを思い浮かべます。真冬のきりりと晴れた青空に、葉を落とした木の枝がくっきりと見える、という様な、"ドライでありながらも深い悲しみ"というものです。


「止置き」という宅配便の箱に貼られたラベルでこの歌の内容を思い浮かべ、でも歌の具体的な言葉はあいまいだった、というのは、この歌から伝わる深い悲しみだけが私の記憶に残っていたのでしょう。


「あはれ」というのはなかなか説明に困る言葉ですが、切迫した悲しみ、という意味で使われた例としては極限といっていいのではないでしょうか。

古語辞典で「あはれ」を引くと、もちろんいろいろな意味が出ていて、そのなかに「悲しさ」というカテゴリー(*2)がありますが、例文を見ると、これほど切実なものは少ないようです。

角川全訳古語辞典(抜粋) 「さやの中山にかかり給ふにも、またこゆべしともおぼえねば、いとどあはれのかずそひて [平家物語]」

平氏が都落ちして逃げていくときに、平重衡は一の谷の戦いで捉えられ、鎌倉に送られる。その途中、さやの中山(現静岡県掛川市)を越えるときの様子である。「この山を再び越えることはないだろう」という感慨は、「鎌倉に行けばいずれ斬られるだろう」ということで、死を覚悟しているわけですが、それでもまだ少し先のことです。死の予感といえるでしょう。

三省堂全訳読解古語辞典(抜粋) 「門引き入るるより、けはひあはれなる [源氏物語]  (車を)門から引き入れるやいなや、邸内の雰囲気がもの悲しい。」

桐壷更衣がこの世を去って、悲嘆にくれる母の邸を、桐壷帝の命をうけた靫負命婦(ゆげいのみょうぶ)が訪ねる場面です。桐壷更衣が存命中は更衣の母がなんとか邸内を手入れしてきましたが、更衣のなきあとは荒れ果ててしまいました。このあたりを原文にあたると、「草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ、八重葎にもさはらずさし入りたる(源氏物語 桐壷 日本古典文学全集)」と荒れ果てた邸内の様子がを簡潔に描写されています。邸内の荒れ果てた様子はそのまま更衣の死を示していますが、表現はあくまで邸内の様子が「あはれ」であり、そこに関わる人物の死が連想される、というものです。

小学館古語大辞典(抜粋) 「(ありしことども思ひいづるに、)いとどいみじうあはれにかなし [蜻蛉物語]」 「よろしき(=普通ノ)事にだにかかる分れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし [源氏物語]」

蜻蛉物語の例文は、「亡き母の一周忌の法事のときには、昔のいろいろなことが思い出されてとても悲しかった」という場面で、いわば回想シーンで、ある種の落ち着きが感じられます。源氏物語の方は、桐壷巻で、更衣が若宮三歳で袴着の儀ののち体調を崩し、里に退出して間もなく死に至り、周囲の人々が泣き惑いしているなかで若君は状況をのみこめずにいるので、ただでさえ母子の死の別れは悲しいのに、若君の様子を見ると更に悲しさがつのり、何ということもできない、という場面です。これは桐壷帝、あるいはそのそばに仕える人々にとっては本当に悲しい状況ですが、源氏物語の文章はここでは語り手としての書き方、つまり観察者の立場での表現になっており、自分自身にとっての直接的な悲しみ・嘆きというものではありません。

備考

(*1) 後拾遺集568の歌は和泉式部集485の歌と同一歌と考えてよいでしょうが、表記がいろいろと違います。「次の記事」でその違いについて、すこし考えてみました。

(*2) ここで使った"カテゴリー"という言葉は"範疇"という言葉で完全に置きかえることができます。ちなみに、国語辞典で"カテゴリー"を引くと、"範疇"を見よ、とか、単に"範疇"としてあって、言葉の持つ意味にほとんど差がないことを示しています。おそらく、"カテゴリー"の訳語として"範疇"という言葉を使ったのではないでしょうか。では、"カテゴリー"と"範疇"のどちらを使うべきでしょうか。私は原則として、読んでわかりやすい方を使う、ということにしています。この場合はどうでしょうか。"範疇"という言葉自体はとても難しい単語であり、"カテゴリー"を"範疇"と書いたからといって分かりやすくなったとは思えません。よって、より具体的なイメージを浮かべることができる"カテゴリー"を使っています。



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