気まぐれ日記 10


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[2014/1/7] 新古今集 1772 後の世とてもたのみなければ 源師光


新古今和歌集 巻第十八 雑歌下 にある歌です。

1772 うきながら猶おしまるゝ命かな後の世とてもたのみなければ

歌番号、歌の表記は、「合本八大集 久保田淳・川村晃生編 三弥井書店」による。

新古今集を読んでいて引っかかった歌の一つです。

作者は"あの世"についてどのように考えていたのでしょうか。

「たのみなければ」は、通常は「あてにならない」とか「ちっとも確実ではない」とかでしょう。角川ソフィア文庫の新古今和歌集(久保田淳訳注) (*1) では次の様な訳になっています。

後世といっても期待できないから (*2)

「引っかかった」というのは、一般に古代から中世のころでは、仏教が広まって以来、極楽に生まれ変わることを願って死んでいくというイメージがあったためです。

作者の源師光は12世紀後半から13世紀初頭のころに活躍したようです(角川ソフィア文庫の新古今和歌集 上 の作者略伝による)が、極楽に生まれ変わることを願ってはいるけど、本当にそうなれるのかなあ、と疑いを持っているのです。

この歌のように、「"あの世"について懐疑的な気持ち」を表明しているのは珍しいのではないでしょうか。それとも、多かれ少なかれ、当時の多くの人は「懐疑的」であったのでしょうか。

前記した角川ソフィア文庫の新古今和歌集の解説を読むと、この歌は新古今集に採録されただけではなく、いくつかの歌合せにも引用されています。ということは、多くの人にとって、「ああ、そうだね」と共感できる内容だったのでしょう。

ということは、あの世について、多くの人が疑問に思っている、ということになります。疑問に思っていてもどうにもならないので、"あの世"については言及しない、ということでしょうか。

讃岐典侍日記は、堀川天皇が息を引き取る前後の様子が事こまかに記されるという、実にまれな作品ですが、ここでも帝は神仏に助けを求め、念仏を唱えながら息を引き取っています。体が弱っていくときに、苦しさのあまり、おそばに仕える女官などにあたりちらすような言葉を発したりもしていますが、"あの世"についての考えは書かれてはいません。

死を目前にすると、救済の事だけを考えて、それがどれだけ実現性があるのか、ということまで考える余裕はないのでしょう。


では、新古今和歌集の雑歌の部で、これに似た発想の歌はないのでしょうか。

前記の角川ソフィア文庫の新古今和歌集をチェックしてみました。これが思ったより時間がかかりました。1436番歌から1851番歌まで416首もあるんですね。改めて新古今和歌集に採録された歌の多いことを思い知らされました。

本当のことを言うと、多分ないだろう、と思っていたのですが、1首みつかりました。作者は慈円です。

1827 思うべき我後の世はあるかなきかなければこそは此の世にはすめ

「後の世はあるかなきか」と明快に表明しています。

同書の訳文・解説を参考に考えると、私の解釈としては次の様になります。

考えるべきである、私の後世(ごせ)があるのかないのか、といえうことを。(私の考えでは)後世はない。だからこそこの世だけを思って生きているのだ。

これとはちょっと異なる解釈もあるようです。特に末尾の2句が重要です。

もしないのであれば、いっそ現世に安住できるのだが。(*3)

私の解釈では、"あの世"はないが、現世の憂さに耐えられず出家している、という事になります。つまり、次善策をとった、ということです。

後の解釈では、"あの世"の存在について結論が出ていない状態でしょうか。

解釈についてあれこれ議論するのは私の力の及ぶ範囲を超えるので深入りはしません。

いずれにしても、「"あの世"が存在について間違いない、と確信している」ということではないようです。

"あの世"とか来世があるということに、確信は持っていないのでしょうか。

仏教において、人は死んだらその後は何もない、という考え方はありえないのではないでしょうか。生まれ変わる、という考えは仏教の根幹にあると今まで思ってきました。生まれ変わる先が畜生道か、再び人間か、あるいは極楽か、という違いはありますが。

出家して仏の道を進んでいる人間が"あの世"はない、とか"あの世"は本当にあるのかなと疑問を持っているというのは、ちょっと興味が出てきます。慈円と言えば大僧正なのですね。その人が"あの世"について確信していないのです。

もっとも、仏教の世界の大人物で恋の歌をたくさん残している人が相当数いますから、人はいろいろ、というところでしょうか。慈円自身は、新古今和歌集の恋歌の部に6首収録されています。



(*1) 角川ソフィア文庫 新古今和歌集 下 久保田淳 訳注 角川学芸出版

(*2) 「後世」というのは、"こうせい"と読んで「後の時代(の人々)」というものと、"ごせ"と読んで「死後の世界」というものの二つの意味があります。文脈から"ごせ"ということになるのでしょうが、この本は初心者向きに編集されているものなので、「後世」と表記したときの混乱を避けるために、「あの世」などの表記の方がよいのではないでしょうか。

(*3) たとえば、「やまとうた」のサイト中の慈円のページ



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